wong0110's diary

中国語で書かれた仏教書(主にテーラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。+日常の心模様の独り言<是誰庵のひとやすみ>。

2017-10-03から1日間の記事一覧

是誰庵のひとやすみ~いよいよ涅槃?

今、毎日、「メーチ・ケーウの物語」を翻訳していますが、いよいよ佳境に入って参りました! 今日は、興に任せて、随分の量を、翻訳したようです。 きちんと数えてはいませんが・・・。 私は子供のころから仏教が好きでしたが、基本、独学です・・・仏教系大…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-33

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> メーチ・ケーウの禅修行は、無量劫より生死輪廻を支配して来た、心理上のパターンを打ち壊した。 この時、何ら一つの念頭(=想い、発想)さえも飛び出して来る事はなく、またそれが、形成される事もなかった。 …

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-32

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> メーチ・ケーウは、心には形相(=姿かたち)がない事、また、概念を構築することもない事に、覚醒した。 清らかで明晰な覚知を自在に運用して、現象を観察する事を通して、彼女は、概念や思惟から解脱ーー抜け出…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-31

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 心正常的状態是清浄的、 (心が正常である時、それは清らかである) 心受到外塵汚染才不浄、 (心が外部の塵埃に染まる時、それは不浄となり) 引起傷悲快楽等情緒波動、 (悲しみや楽しみ等の感情の波動が生じ)…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-31

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 影像の生起と消滅は非常に速く、故に、外部の、または内部の概念とは、相関する事がなかった。 最後には、形相(=姿かたち)は、意識の中において、閃きながら生・滅したが、その速さは、映像の意味を識別する事…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-30(185/244)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> メーチ・ケーウの観身の修行は、非常に重要な段階に、差し掛かった。 この折り返し点において、心が色身に執着する、その根本的原因は、非常にはっきりとしていた。 嫌悪の本能の感受が、それとの根源において合…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-29

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> メーチ・ケーウは、自在に運用される心態(=心の状態)と、執着を離れた心態でもって、専注する時には、身体をば、内心に顕現する、意識の産物である、と見做した。 しかしもし、色身がただ四大の聚合したもの、…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-28

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> メーチ・ケーウは岸辺にいて、その光景に見入っていたが、突然、身体が一片の雲のようになって、空中に舞いあがり、湖面を漂い、あの鴨の上方まで、漂いついた。 彼女は、足を広げて、鴨の背中に跨った。 彼女が…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-27

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 経行道の傍には、天を突く大木と、湾曲して垂れ下がった竹によって陰が作られていた。道の端には、細長いトウトチノキがあり、メーチ・ケーウはこの木の下に、簡素な竹のプラットフォーム(=縁台)を置き、午後…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-26

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 池水完全停止、 (水の流れが、完全に停止する時) 清澈見底的池塘、 (池塘の底が、徹底的に澄んで見える) 我們可以清楚看見所有的東西。 (その時、我々は、すべてのものを、はっきりと、見て取る事ができる)…

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)5-25

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> メーチ・ケーウは、毎回、身体を観ずる度に、形象が、地水火風に分解される真迫の様を、見た。 彼女は、死なないものは無い事を、はっきりと知った。 頭髪、爪、皮膚、肉、骨は、夫々、彼らの元の元素に戻り、た…