<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
池水完全停止、
(水の流れが、完全に停止する時)
清澈見底的池塘、
(池塘の底が、徹底的に澄んで見える)
我們可以清楚看見所有的東西。
(その時、我々は、すべてのものを、はっきりと、見て取る事ができる)
心徹底休息時静止不動、
(心が徹底的に休息する時、心は静止して動かず)
心静止不動智慧容易生起、
(心が静止して動かない時、智慧は容易に生起して)
順暢運作。
(順調、速やかに、運用される)
智慧運作時、心洞然明白。
(智慧が運用される時、心は何事をも、明白に知る。)
自在なる覚知
その後、何か月か、メーチ・ケーウの生活は、安寧で静かで落ち着いたものになり、一心に専心して、勇猛果敢に、禅の修行に取り組んだ。
毎朝、朝食が済んで暫くすると、彼女は辺鄙な茅葺小屋に戻り、午前中一杯は、経行道にいて、その端から端までを、何度も往復した。
経行道は、彼女にとって、全力を尽くして、生死輪廻を打ち壊す所の、修道の道場と化した。
彼女は経行する時、身体の位置に注意する事もないし、足裏が地面に接するのに、注意を払うこともなかった。
覚知は、それほど内部への観察に打ち込み、たまたま、経行道を踏み外して、灌木の生えている場所に足を踏み込んでも、専注の対象を変える事はなく、本能にしたがって、経行道に戻って、引き続き経行した。
知力は、その全精神をもって、意識流に集中した。
(5-27につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」Dhammavamsa Publication
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>