Sayalay's Dhamma book

仏教書の翻訳は2019年夏をもちまして一旦終了しましたが、2020年発生しましたコロナ禍により、修行者独習に供する為、『親知実見』を翻訳しています。過去に訳出した23冊は<菩提樹文庫>にて閲覧できます。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

2019-03-25から1日間の記事一覧

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-68(82/82)翻訳終了

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 5,熟練したならば、食事の時も、先に目を閉じて、禅相に融入して後、ゆっくりと目を開いて、引き続き、禅相に融入することを保持し、その後に、ゆっくりとお椀と箸を持ち、ゆっくりと咀嚼し、食事をする。 真正…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-67(81/82)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ▲【目を開けて禅相に融入する】 禅相に1、2時間、融入することが出来る様になったならば、「日常生活の中において、禅相に融入する」を練習する。 1、座禅・瞑想の姿勢で座り、身体は真っ直ぐにし、目を閉じて…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-66(80/82)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 安般は、その他の業処と異なっている。その他の業処は、目を開けて遠くを見ても、それがどれほど遠くても、心は、その業処の禅相に融入する事ができる。 例えば、白遍は、どれほど遠くても、心は白色の中に融入す…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-65

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> (二)「禅相に融入」には、もう一つの説明の仕方がある: ちょうどプールの上から、プールを見ている時、プールの形状や位置、水の清潔さなどを明確に知る事ができる。しかし、ひとたび、プールに飛び込んだ後、…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-64

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ▲【禅相に融入する事に関する解説】 (一)《註釈》において、「入定の状態」は、以下の様に、説明される: 一粒の石を、水で一杯になった透明のコップに、入れる事。 水で一杯になったコップとは、禅相の事。 水…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-63

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 『三合一』の方法 1、『目を閉じて』、『自然な呼吸をして』、『呼吸を知っている所の意念(+を保つ)』。 心は、ただ、自然に、鼻の前の呼吸を、知る事を保持する。 ある時には、広い範囲の光が、鼻の前に張り…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-62

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ▲【三合一】の操作方法 (三つで一セット) 上に述べた通り、光が出現した時、以下の事に、気を付けなければならない: 光が出現するという事は、我々の定力が上昇している事を、意味している。 最初、光は出現す…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-60(75/82)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> ▲安般禅相と光の関係 1、ある時には、この光は(+あなたの)後ろに、何分か、出現し、その後に消失する。 あなたは期待して、光が早く現れないかと待つ様になれば、心はイライラする。 2、ある時、禅相は、横…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-59

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 呼吸が短く、非常に微細になった時、それを長くしたり、明確にしようとしては、ならない。 呼吸が、益々微細になる時、引き続き、(+意識を)鼻と唇の間の前面において、呼吸を知る様にする。 それは、一筋の細い…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-58

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 先ほどの、安楽な感覚を取り戻そうとして、更に緊張し、更に頑張ると、心は更にイライラし、不快になり、故に、更に更に頑張るため、更に更に不快になる。 これでは、修行が辛くなる。 安般は、苦行ではない。 安…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-57

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 呼吸を知るという(+修習に伴って)正念力が上昇し、身体は自然に、軽く安楽に感じられる様になる。これは定力が上昇している証拠であり、この様な定力には五禅支:尋・伺・喜・楽・一境性が伴う。 喜悦の「喜」…

本雅難陀禅師アメリカ法話第一集-56(70/82)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> いわゆる『長短息』とは: 心が、呼吸を知る事を保持している時、たまたま呼吸が、ごく自然に、速くに変化した時、これをば、呼吸が短くなったと知る事、という。 たまたま呼吸が、ごく自然に、ゆっくりになった…