Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

パオ・セヤドー問答集~#249~#251>問答(15)問15-40~15-42<慧学疑問編>

☆11月より長期リトリートに入る為、公開の翻訳文が少し多くなっています。よろしくお願いいたします。

#249-150927

問15-40 名法、色法とは何ですか?いわゆる心法と色法、または12縁起における名色の一支である所の、名法と色法ですか?この二つの色法は、同じものですか?

答15-40 名法(nāma)と色法(rūpa)に関する知識は、非常に深くて広いです。詳細に説明を始めると、非常に長い時間がかかります。もし、あなたがそれらをはっきりと理解したのであれば、あなたは徹底的に《アビダンマ蔵》を研究しなければなりません。ここでは、私は簡単に回答14する事にします。名法(精神的な現象)は心(citta)と心所(cetasika)を含みます。心には89種類あり、善心、不善心、果報心と唯作心を含みます。心所は52種類あり、以下を含みます:

1、通一切心の心所、たとえば触、受、想、思、作意、精進など。2、不善心の心所、たとえば愚痴(愚かさ)、瞋恚、貪欲、邪見など。3、美的心所、たとえば信、念、無貪、無瞋、慧眼など。

色法(物質的現象)は28種類あり、四大種色及び24種の所造色、たとえば色彩、匂い、食素等です。これらは由来から四種類に分類する事ができます、すなわち、業生色、心生色、時節生色と食生色です。

12縁起の中の名色という一支は、経典の教えでは、ここでいう「名」は果報心とそれに相応する心所だけを指し、善心、不善心、唯作心とその他の相応心所は含みません。ここでいう「色」は主に業生色及び果報心によって生じた心生色を指します。しかしながら、不可避的に、時節生色と食生色は、その中に含まれることになります。というのも、この二種類の色法は、それぞれ上述の二種類の色法の中の火界(tejo-dhātu)と食素から生じるからです。故に、この「色」もまた四種類の色法を含んでおり、その為、色法と12縁起の中の名色一支の色は同じものとなります。

#250-150927

15-41 五蘊とは何ですか?

答15-41 五蘊とは、色蘊、受蘊、想蘊、行蘊及び識蘊の事です。色とは物質の事です。受は感受、想は心の中に印象を烙印する事で、多くの付属的な心理現象を含みます(心所)。色蘊は11種類の物質の集合で、すなわち、過去、未来と現在、内部と外部、粗いものと微細なもの、低劣なものと優れたもの、遠いものと近いものを含む、色法です。同様の原理で、受蘊は11種類の感受の集合で、想蘊は11種類の内心の印象の集合で、行蘊は11種類の心所の集合で、識蘊は11種類の心識の集合です。

もう一つ別の分類法では、28種類の色法は色蘊で、そのうちに四大種色と24種類の所造色が含まれます。6種類の感受は受蘊、すなわち、色彩、声(音)、匂い、味、触覚及び心理的目標の感受をいい、または楽受、苦受と捨受が受蘊です。6種類の内心の印象は想蘊、すなわち、色彩、声(音)、匂い、味、触覚及び心理的な目標の印象を言います。受と想を除く残りの50種類の心所は行蘊です。6種類の心識は識蘊、すなわち、眼識、耳識、鼻識、舌識、身識及び意識です。

以上は、簡単な紹介でした。もし五蘊について深く理解したいのであれば、あなたはよき師の下で、《アビダンマ蔵》を詳細に研究し、かつ止観の実践的修習を通して、それらを照見しなければなりません。

#251-150927

問15-42 《清浄道論》(Visuddhimagga)および《アビダンマッタサンガハ》(Abhidhammattha Sangaha)では、観禅(vipassanā)を修行する前に、「慧地」(paññābhūmi)15を具備していなければならない、と言います。今回のリトリート合宿でもそうですか?

答15-42 私は《諦相応》(Sacca Saṁyutta)の中の一部の経を引用しましょう。

「比丘達よ。四聖諦を了知し、見通さない為、あなたと私は、絶え間なく、この長い生死輪廻の中において、行き来を繰り返してきました。

四者とは何か?比丘達よ。以下の四つを了知し見通さないため、あなたと私は、絶え間なく、この長い生死輪廻の中において、行き来を繰り返してきました。

1、苦聖諦。2、苦集聖諦。3、苦滅聖諦。4、苦の滅に導く道聖諦。

 

上記で言うように、四聖諦を知らないのであれば、あなたは生死輪廻を解脱する事はできません。もし、生死輪廻を解脱したいのであれば、あなたは四聖諦を知る為に、チャレンジしなければなりません。どのように修習すれば、四聖諦を知ることができるのか?

《諦相応》の中に《三摩地経》というお経があります。その中で、仏陀は以下のように言っています。

「比丘達よ。定を育成せよ。定を得た後、比丘は如実に諸法を了知する。

彼は何を如実に了知したのか?

  1. 彼は『これは苦である』と如実に了知した。2、彼は『これは苦の集である』と如実に了知した。3、彼は『これは苦の滅である』と如実に了知した。4、彼は『これは苦の滅に向かう道である』と如実に了知した」。

このように、仏陀は、定を育成するのは、四聖諦を了知する為である、と言っている。

もし、人に専注する心がないならば、彼は究竟法を見る事ができません。すなわち、:1、苦聖諦。2、苦集聖諦。3、苦滅聖諦。4、苦の滅に向かう道聖諦、です。

私は一つの例を上げて説明します。我々の身体は、多くの色聚の微細な粒子によって構成されています。目を閉じて、あなたの身体を見て下さい。あなたは、これらの色聚を見る事ができますか?今のあなたには見えないでしょう。

しかし、専注する心には、これらの微細な粒子――色聚は見えますし、これらの微細な粒子を、究竟色法を知見するまでに、分析する事もできます。どうしてか?専注する心は通常は慧根と相応しているからです。その慧根は明るくて強くて力のある光を生じさせる事ができます。これが「智慧の光」です。

《転法輪経》によると、五取蘊は苦諦法であり、すなわち、苦聖諦です。色法は五蘊の内の一つです。故に、究竟色法は苦聖諦に属します。もし、究竟色法を見たことがないのであれば、あなたは、それらの無常・苦・無我を観照する事はできません。もし、あなたが究竟色法、究竟名法及びそれらの因縁を無常・苦・無我として観照する事ができたならば、この智慧は観智と呼ばれます。

もし、究竟色法と究竟名法を知見した事がないのであれば、仏陀の教えた方法で系統的に観禅(vipassanā)を修習する事はできません。

専注する心は、究竟名色法及びそれらの因縁を知見する強力な助縁なのです。故に、もしあなたが、究竟名色法及びそれらの因を見たいと思うならば、あなたは定力を育成しなければなりません。これは仏陀が指導した事です。あなたは《諦相応・三摩地経》(Sacca Saṁyutta、Samādhi Sutta)の中で、これらの教えを読むことが出来ます。(翻訳文責 Pañña-adhika sayalay)。

初めてご来訪の方へ:上記は、台湾より請来した「禅修問題与解答(パオ禅師等講述)」(中国語版)の翻訳です(仮題「パオ・セヤドー問答集」)。「智慧の光」「如実知見」の姉妹版として、アビダンマ及びパオ・メソッドに興味のある方のご参考になれば幸いです。(一日又は隔日、一篇又は複数篇公開。日本及び海外でリトリート中はブログの更新を休みます。Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu)。