Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 コメント欄はどなたも利用OKですが、リトリートに入っている時は回答致しません。

☆「掌中の葉」(翻訳文)4-18

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

普遍適用業処(=普遍的に適用される業処)

あなたの性行を観察し、あなたの過去の修行(+の様子)を知った後、教師は、あなたに対して、個人的に適合する特別業処(=特別な業処)を与えることができる。

しかしながら、通常、教師は大多数の学生の基礎が強固でない事を発見する。故に、彼はまた、あなたに対して、たとえば、慈心禅や仏随念などの、普遍的な適用業処を、与えることもある。

どうして、教師はこのようにするのであるか?

《増支部・11法集・第10経》の中で、仏陀は、二種類の修行方法があると言う。

一番目は、軽率な定の修習方法であり、それは、修行者が貪欲、瞋恚、昏沈、眠気、掉挙、後悔、懐疑の束縛の下で、定を修し、何度も定を修し、定の修習の反対の事柄を実践し、定の修習を間違えるのである。

仏陀は、この種の定の修習を、駄馬の定の修習方式であると言う:

「山達。駄馬の方式で定を修習するとは、どういうことか?

駄馬は、飼い葉桶の側に括りつけられると、彼はこのように定の修習をする:『餌だ!餌だ!』。

どうしてか?

というのも、彼は:『今日は、御者は、私に何をさせようとするだろうか?私はどのようにして、彼に復命するべきか?』と考える事はなく、駄馬が、飼い葉桶の側に括りつけられると、彼はただこのように定の修習をする:『餌だ!餌だ!』」

「同様に、駄馬と似た人々が、林野、木の下、または空き地に行く。彼の心は貪欲に束縛されており、貪欲に飲み込まれており、(+故に)既に生起している貪欲から、(如何にすれば)離脱できるのかを、如実に知見することができない。

内心の貪欲を強化し成長させ、彼は定を修習し、何度も定を修習し、定の修習と反対の事柄を実践し、定の修習を間違えてしまう・・・」

「彼の心は瞋恚と怨恨、昏沈、眠気、掉挙、後悔、懐疑によって束縛されており、瞋恚と怨恨、昏沈、眠気、掉挙、後悔、懐疑に飲み込まれており、すでに生起した瞋恚と怨恨、昏沈、眠気、掉挙、後悔、懐疑から(如何にすれば)離脱できるのかを、如実に知見することができない。彼は、内心の瞋恚と怨恨、昏沈、眠気、掉挙、後悔、懐疑を強化し成長させ、彼は定を修習し、何度も定を修習し、定の修習と反対のことをし、定の修習を間違えてしまう・・・山達、これはまさに、駄馬に似た人が、定を修習する時の様子である」

(4-19につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>

まで。ご協力、よろしくお願いいたします。

<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>