<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
実際、それぞれ各種の善法の修習は、諸々の、たとえば、貪などの煩悩を調伏するのに、有効である。
それぞれ各種の、善法の修習は、信心などの善法を強化・増長させるのに、有益である。
《清浄道論・第三章・第122段》
故に、学生は、多くの種類の業処を把握し、強固で安定した基礎を築き、将来の観禅の修習の為の、準備をしなければならない。
たとえば、≪弥醯経≫は言う:
「四種類の法を修習しなければならない;
貪欲を取り除くためには不浄を;
瞋恚を取り除くためには慈愛を;
雑念を断じるためには安般念(呼吸念)を;
我慢(=我ありという傲慢)を絶滅する為には、無常想を・・・。」
・・・一種類の性行者に、7種類の業処を説明(+と推薦を)する。
(慈、悲、喜、捨、不浄、無常想、安般念。)
《清浄道論・第三章・第122段》
◆結論:
(一)異なる性行者は、それぞれ、異なる業処を修習するのがよい。とはいえ、しかしながら、大まかに言うと、それぞれの善法の修習は、諸々の、たとえば、貪等の煩悩を調伏するのに有効であり;それぞれの善法の修習は、信心などの善法を強化・増長するのに有益である。
(二)一人の学生は、多くの業処を掌握し、(+修行における)強固で安定した基礎を打ち立て、将来の観禅の修習の準備をするのが望ましい。
(4-18につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>
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<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>