<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
ここでは、日常生活に使う色々な品物が、不足した。
斧、鋤、鍬など、ほとんどの物は、村人に借りた。
メーチたちは、竹で湯呑や、その他の台所用品を作り、ビンロウの殻で、簡単な履物を作った。
生活条件は非常に悪く、不便ではあったが、メーチたちは貧に安んじ、道を守り、淡々と過ごした。
卉晒村の女性専用道場は非常に小さく、村からは距離があった。
ここでの修行は、規則が厳格でシンプルであり、生活は異常なほど単純で、素朴であった:
昼間は禅の修行をし、夕方には皆で仏殿に行きーー殿の中は、なんらの装飾品もなく、快適に過ごす為の備品もなかったがーー皆は、堅い木の床に直接座り、偈頌を念誦して、仏法僧の三宝を礼賛した。
メーチ・ケーウは常々、一人の女性修行者の身として、生活の中で出会う困難は、大したことはない・・・高明なる禅師に、禅修行の体験を鑑別してもらえないのが、一番の問題だ、と言った。
アチャン・カンパンが、欲愛の淫威の下に屈服したのを見た彼女は、非常に残念に思うと同時に、このことがいつも気がかりで、彼女の心を深く困惑させ、不安にもさせた。
彼女は、どうして、禅の修行が、彼のこの野卑で俗なる、本能的な欲望を昇華できなかったのか、その原因を見つけ出そうと、己自身を追い立てた。
彼女自身も、正しい道を歩いるのかどうか、疑問であった。なにか修行の、大切なキーポイントを、忘れてはいないだろうか?
これらの問題が、長く彼女の心に引っかかっりながらも、なかなか答えを見つけることができなかった。
最後に、彼女は、修行者を指導する事のできる、真正の禅師を探し出したい、と思った。
メーチ・ケーウは、朝な夕なに、8年間、共に過ごした道友と別れる事、この建てたばかりの道場を後にする事を、決意した。
それは、外部社会に出て、明師を探すという決意であった。
道場の責任者である二人の古参の尼僧、メーチ・タンとメーチ・インは、彼女の不安を理解して、彼女の発心に随喜した。
雨季の後、メーチ・ケーウは、新参の尼僧と共に出発し、卉晒寺北端の磐山の麓を通って、小道を伝って北へ向かい、数えきれない程の高山と峡谷を渡り、最後にようやく、磐山山脈の最東端、高い嶺の間に建てられた寺院ーーアチャン・コンマの森林寺院に到着した。
(4-43につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>