Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 2018年8月10日の翻訳をもって翻訳ワークは終了しました。                     コメント欄は利用OKですが、リトリートに入っている時は回答しません。。

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)4-60

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

その日、メーチ・ケーウは、黄昏時には、すでに座席に座って、瞑想していた。

夜の12時になって、心が、深くて繊細な静止状態になった時、突然、アチャン・マンの、光を放つ身体が、これが最後とばかりに、顕現した。

彼の顔と身体は、光で輝き、口調はいつもと違って厳しく、しかし、それは真実に直接的で、彼女の定の境地を、打ち砕いた。

彼は、青天の霹靂のように、彼女の無頓着を詰った。

彼は、清らかな悲心から、まるで自分の娘のように彼女を愛護し、再三再四、彼女に最後の面会に来るように促したのに、今となっては、すべてが手遅れになった。

彼はもうすぐ般涅槃する。

永遠にこの世間から離れる。

彼女が今すぐ、彼に会いに行ったとしても、ただ物言わぬ遺体を目にするだけで、彼女が来たことを、もう、知ることができない。

無頓着、怠惰・・・こうして最後のチャンスは、失われた。

” メー・ケーウ、汚染された感情に、コントロールされるな。

これらの汚染された感情は、無量劫、生死流転する源である。

決して、煩悩には害がなく、心の痛痒と関係がない、などと考えてはいけない。

ただ、勇猛果敢で、かつ揺るがない心だけが、煩悩の手口を、打ち負かす事ができる。

メー・ケーウ、内にむけて観察せよ。

仏法を、あなたの導きとしなさい。”

”地水火風であろうとも、天空大地;山林樹木;天国と地獄または餓鬼であろとも;これらは皆、道でもなく、果でもなく、涅槃でもない。

あなたは、この中から、決して、真理を発見することはできない。

この中に真理を見つけようと、してはならない。

それらは、それら自身の範疇においては、真理に合致するが、しかし、それは決して、あなたが追求するべき真理ではない。

これらの物事に沈潜する事は、あなたをして、終わりのない悪循環に、巻き込ませることになる。

もう、同じ所を、グルグル回るのは、止めなさい。

内に向かって、己自身を観察せよ。

真正の仏法は、ただ心の中で生起し、ただ心の中で、光を放つ。

それはちょうど、雲のない晴れた空の上の、満月のように、清らかで、明るい。”

明け方まで、まだ時間があった。

メーチ・ケーウは、サマーディから出て来ると、冷たい汗が、彼女の白い三衣を、びっしょりと濡らしていた。

彼女は非常に疲れ、失意のどん底にあり、胸が刺されるように、痛かった。

師を失った。

彼女の誇り、彼女の支え・・・彼女は、急に、心がバラバラになったように、感じた。

彼女は横になったが、心は乱麻のようであり、まったく眠れなかった。

嗚咽をもらし、彼女は深く息を吸って、己の悲痛を和らげた。

(4-61につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>まで。ご協力、よろしくお願いいたします。

<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>