南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)4-60

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

その日、メーチ・ケーウは、黄昏時には、すでに座席に座って、瞑想していた。

夜の12時になって、心が、深くて繊細な静止状態になった時、突然、アチャン・マンの、光を放つ身体が、これが最後とばかりに、顕現した。

彼の顔と身体は、光で輝き、口調はいつもと違って厳しく、しかし、それは真実に直接的で、彼女の定の境地を、打ち砕いた。

彼は、青天の霹靂のように、彼女の無頓着を詰った。

彼は、清らかな悲心から、まるで自分の娘のように彼女を愛護し、再三再四、彼女に最後の面会に来るように促したのに、今となっては、すべてが手遅れになった。

彼はもうすぐ般涅槃する。

永遠にこの世間から離れる。

彼女が今すぐ、彼に会いに行ったとしても、ただ物言わぬ遺体を目にするだけで、彼女が来たことを、もう、知ることができない。

無頓着、怠惰・・・こうして最後のチャンスは、失われた。

” メー・ケーウ、汚染された感情に、コントロールされるな。

これらの汚染された感情は、無量劫、生死流転する源である。

決して、煩悩には害がなく、心の痛痒と関係がない、などと考えてはいけない。

ただ、勇猛果敢で、かつ揺るがない心だけが、煩悩の手口を、打ち負かす事ができる。

メー・ケーウ、内にむけて観察せよ。

仏法を、あなたの導きとしなさい。”

”地水火風であろうとも、天空大地;山林樹木;天国と地獄または餓鬼であろとも;これらは皆、道でもなく、果でもなく、涅槃でもない。

あなたは、この中から、決して、真理を発見することはできない。

この中に真理を見つけようと、してはならない。

それらは、それら自身の範疇においては、真理に合致するが、しかし、それは決して、あなたが追求するべき真理ではない。

これらの物事に沈潜する事は、あなたをして、終わりのない悪循環に、巻き込ませることになる。

もう、同じ所を、グルグル回るのは、止めなさい。

内に向かって、己自身を観察せよ。

真正の仏法は、ただ心の中で生起し、ただ心の中で、光を放つ。

それはちょうど、雲のない晴れた空の上の、満月のように、清らかで、明るい。”

明け方まで、まだ時間があった。

メーチ・ケーウは、サマーディから出て来ると、冷たい汗が、彼女の白い三衣を、びっしょりと濡らしていた。

彼女は非常に疲れ、失意のどん底にあり、胸が刺されるように、痛かった。

師を失った。

彼女の誇り、彼女の支え・・・彼女は、急に、心がバラバラになったように、感じた。

彼女は横になったが、心は乱麻のようであり、まったく眠れなかった。

嗚咽をもらし、彼女は深く息を吸って、己の悲痛を和らげた。

(4-61につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>