<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
その日、メーチ・ケーウは、黄昏時には、すでに座席に座って、瞑想していた。
夜の12時になって、心が、深くて繊細な静止状態になった時、突然、アチャン・マンの、光を放つ身体が、これが最後とばかりに、顕現した。
彼の顔と身体は、光で輝き、口調はいつもと違って厳しく、しかし、それは真実に直接的で、彼女の定の境地を、打ち砕いた。
彼は、青天の霹靂のように、彼女の無頓着を詰った。
彼は、清らかな悲心から、まるで自分の娘のように彼女を愛護し、再三再四、彼女に最後の面会に来るように促したのに、今となっては、すべてが手遅れになった。
彼はもうすぐ般涅槃する。
永遠にこの世間から離れる。
彼女が今すぐ、彼に会いに行ったとしても、ただ物言わぬ遺体を目にするだけで、彼女が来たことを、もう、知ることができない。
無頓着、怠惰・・・こうして最後のチャンスは、失われた。
” メー・ケーウ、汚染された感情に、コントロールされるな。
これらの汚染された感情は、無量劫、生死流転する源である。
決して、煩悩には害がなく、心の痛痒と関係がない、などと考えてはいけない。
ただ、勇猛果敢で、かつ揺るがない心だけが、煩悩の手口を、打ち負かす事ができる。
メー・ケーウ、内にむけて観察せよ。
仏法を、あなたの導きとしなさい。”
”地水火風であろうとも、天空大地;山林樹木;天国と地獄または餓鬼であろとも;これらは皆、道でもなく、果でもなく、涅槃でもない。
あなたは、この中から、決して、真理を発見することはできない。
この中に真理を見つけようと、してはならない。
それらは、それら自身の範疇においては、真理に合致するが、しかし、それは決して、あなたが追求するべき真理ではない。
これらの物事に沈潜する事は、あなたをして、終わりのない悪循環に、巻き込ませることになる。
もう、同じ所を、グルグル回るのは、止めなさい。
内に向かって、己自身を観察せよ。
真正の仏法は、ただ心の中で生起し、ただ心の中で、光を放つ。
それはちょうど、雲のない晴れた空の上の、満月のように、清らかで、明るい。”
明け方まで、まだ時間があった。
メーチ・ケーウは、サマーディから出て来ると、冷たい汗が、彼女の白い三衣を、びっしょりと濡らしていた。
彼女は非常に疲れ、失意のどん底にあり、胸が刺されるように、痛かった。
師を失った。
彼女の誇り、彼女の支え・・・彼女は、急に、心がバラバラになったように、感じた。
彼女は横になったが、心は乱麻のようであり、まったく眠れなかった。
嗚咽をもらし、彼女は深く息を吸って、己の悲痛を和らげた。
(4-61につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>