Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。偶には<是誰庵のひとやすみ>にて日常の心模様独白。

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)7-2

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

   <メーチ・ケーウ法話集>

あなたは、村全体の茅葺の家の屋根に

使う萱を、すべて用意する事はできない。

布施は、自分の出来る範囲で、実践すべし。

 

もしあなたが、何か恥ずかしい事を

してしまったならば、

なるべく隠れていましょう。

ちょうど蛙が、人間が来るのに気が付いたら、

池の中に飛び込むのと同じように。

村のあちらこちらに行って、

法螺を吹いてはいけない。

もし、あなたが馬鹿ならば、

己を、賢いなどと言ってはならない。

 

口をふさがずに遠慮なくしゃべる人は、

話している内容が、正しいかどうか、

しい事多い。

本当に知っている人は、

口を開かずに黙っている。

必死に道理を説明する人は、

分かっていない事が多い。

 

どれほど親しい人であっても、

話をする時は慎重に;

どれほど心が傷ついていても、

癇癪を起こしてはならない。

 

あなたが善良な人間でないのならば、

はったりをかまして、

己を飾ってはならない。

己を、賢く善良であるように

見せかける人は、

実は馬鹿なのであり、

道徳に欠ける愚人なのである。

 

この世界に生まれて、我々は

過ぎていく一日、一月、一年を惜しみ

己の生命と他人の生命を、愛惜する。

故に、いつも憂慮と苦しみと悲痛の中にいる。

我々は生れ落ちるや否や、

この脆弱な命に執着し、

その後に、不安になり、

あれが怖い、これが恐ろしい、と言う。

我々の心は、貪・瞋・痴と恐怖に刺激された

無明という名の習性に占拠され、

世間の色々な影響を受ける。

我々は、生まれながらにこのようであり、

もし、今、それを改めないのであれば、

死ぬまで、これらの習性に支配される。

なんと惜しい事よ!

 

我々は、生れ落ちるや否や、

苦のみがあって、

他のものは何もない。

我々は、

要る、要らない;

満足、満足できない;

座る、横になる、食べる、厠に行く

・・・・・・

解脱していないが故に、

苦が常に、傍にある。

故に、禅の修行の時、

この苦について、

中から外から、

徹底的に点検するべきである。

 

我々は、小鳥の歌声が好き。

でも、余りに賑やかに歌うと、

うるさいと言う。

我々は、これまで一度も、

満足するという事を知らない。

(7-3につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>まで。ご協力、よろしくお願いいたします。

<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>