Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 2018年8月10日の翻訳をもって翻訳ワークは終了しました。                     コメント欄は利用OKですが、リトリートに入っている時は回答しません。。

「身念処」1-26

     <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

2)受

身念処を修している時に、受を観じてはいけない。受念処の修習の時にだけ、受を観ずるようにするべきである。

たとえば、身体が痛みを感じる時、心が痛みを知っているという事に関しての、観照をしてはならない。このようにすると、(+修行が)非常に複雑になる。

受を四念処の修習の所縁にすると、非常に修行が難しくなる。というのも、合計で9種の受があるが故にーー捨受を含むこれらは、非常に観照が難しいものである。

3)心

16個の心念処(+がある):

貪心、無貪心、瞋心、無瞋心、痴心、無痴心、淫欲心など等である。

4)法

5個の法念処がある:

1、五蓋。

2、五蘊

3、12処(感官の範囲、たとえば、聞く等)。

4、7菩提分。

5、四聖諦。

1-3-1-2 身念処

身念処の修行方法には、14種類ある。

しかし、この修行方法は、二種類(+の状況)においてのみ、用いられる:

粗い動作と微細な動作である。

初心者は、身念処から修行を始めるべきであるーー粗い動作と微細な動作ーーというのも、身体は、心より観照しやすいが故に。

身体を明確に観照して(+その内容が)明確になり、その為に、煩悩がなくなった時、実相般若が生起する。

その時、あなたは心を観照する事ができる(これは、ちょうど鏡をしっかり磨いたならば、あなたは容易に、物を見る事ができるようになるのと同じである)。

身念処はまた、現代人の性質と行動に合っている(1-3-1-4-1節参照の事。色々な人々の所縁の対象として適切である)。

粗いかまたは微細な動作を観照するのは、その他の(+種類の)身念処(+を修行するより)色身(+の内)に隠れている苦を、見つけやすい。

仏陀は、色身の動作に関して明覚する時、身体の苦は隠れている事ができない、と述べている)。

14種類の身念処の中で、3種類だけが、真正なるvipassanaの修法である、と言える:

(+それはすなわち)粗いかまたは微細な動作及び、身体の構成物の観照である。

(1-27につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。

<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>