<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
1-4-6 滅諦(第三聖諦)
涅槃は苦の止息(=止まる事)または、息滅(=消える事)であり、泥洹と涅槃は同じものである。
涅槃は、煩悩と苦痛を断じ除く法(=方法)である。
上記の事は、苦因ーー集(または三種類の貪愛)を滅するが故、である。
涅槃の一刹那の間は、苦がない。
というのも、五蘊の作用が、暫定的に停止するが故に。
この短い、暫定的な一念の間に生起した心は、道心(1-1-1節参照)と呼ばれる。
修行者は、智慧でもって、苦を体験・体得する時、彼は、貪愛は苦の因である事を理解する。
こうして、彼は、貪愛を取り除く方法を考える:
因が滅すると果が滅する(+のだと。)
(貪愛が、完全に、清らかに取り除かれた後、苦の果は、自ずと滅し除かれる。)
(1-44につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「身念処」Vipassana Bhavana 第二版 アチャン・ネン著
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>