<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
第二、集諦ーー苦の起因。
苦の起因には三種類ある:
「欲愛、有愛、無有愛」
欲愛とは、五欲の享受に執着する事;
有愛とは、生命の存在に執着する事であり、これは(+上記より)更に強烈なる愛である;
衆生は、輪廻から離れたいとは、思ってはいない。
というのも、衆生は、生命に執着しており、天界に生まれたいと執着しており、天界の楽しみを楽しみたいと執着しており、または人間に生まれたい、梵天人に生まれたい、と執着しているのである。
有愛と常見は相応しており、同一の人物が輪廻していると思っている(+事を言う)。
無有愛と断見は相応しており、人が死ぬと何もかも終わりであると考え、因果応報も認めない、断見と相応する所の、一種の貪愛である。
これらは皆、苦痛の原因である。
第三、滅諦--痛苦の止息。
滅諦とは何か?
貪愛が苦の因であるならば、滅諦とは、貪愛の滅であり、すなわち、涅槃である。
第四、道諦ーー苦の滅に向かう道。
道諦とはすなわち、八正道ーー正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念と正定である。
この四聖諦を理解する事は、すなわち、正見を持つことである;
正見を得るためには、四聖諦を理解しなければならない。
四聖諦は仏法全体の中心であり、仏陀が初めて法輪を転動した時、開示したのが四聖諦である。
(18-4につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<『24縁発趣論』スシラ・サヤレー著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay(2018年5月25日クムダ・セヤドーより
正式に初心者瞑想指導の許可を得る)>