<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
■2、正思惟
正思惟には以下の三種類がある:
(1)出離思惟
(2)無瞋思惟
(3)無害思惟。
出離思惟ーー我々は、感官の欲楽の禍について、深く考えて、出離思惟を発展させる必要がある以外に、また、一個の”私”が、これらの楽欲を享受しているのだ、という観念を”放棄”する(すなわち、無我)事に、チャレンジしてみる必要もある。
出離思惟は、以下の考えから遠く離れる事を意味する:
私は、大きな家、大きな車、美人の妻、私の名誉と利益、私の高収入、私の社会的地位などなどを手に入れたい、という考え。
これら、”私の所有する所のもの”というこの概念を、しっかりと握りしめて、それらに執着する考え方は、欲楽への渇愛を極度に強化し、人をして渇愛から離れなくさせる。
ジャーナに入る事もまた、出離思惟と見做される。
というのも、心がジャーナに専注する時、感官の欲楽と関連する所の考えは、暫定的に放棄されるが故に。
まさに仏陀が言うように:
「定が展開される時、心もまた展開される;心が展開される時、激情は取り除かれる。」のである。
(18-5につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<『24縁発趣論』スシラ・サヤレー著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay(2018年5月25日クムダ・セヤドーより
正式に初心者瞑想指導の許可を得る)>