<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(以下の翻訳文は、福岡ダンマセンターの法話会に供する為の資料です)
「正思惟」は「尋」の作用である。
というのも、「正思惟」は「智慧」の先駆であるので、「智慧」の範疇に入るが故に。
「思惟」には合計三種類あり、それは、「出離思惟」、「無恚思惟」と「無害思惟」である。
ちょうど一人の、監獄に収容された人間のように、または敵に包囲された軍隊のように、または森林火災に巻き込まれた人のように、或いは、網に捉えられたか、池から出られなくなって、困惑する魚のように、または鳥かごに押し込められた小鳥のように、(食べる事も眠ることもできなくなった時)その時はただ只管、どのようにして、この状態から逃げ出すのかを、考えるのみである。
「正勤の精神」によって、古く、かつ無尽である所の「已に生じた悪業」と、未来における無尽の「未生の悪業」から抜け出したいと思う事、このような思惟が生起する事を、「出離思惟道(=出離に関する思惟の道)」と言う。
この種の「思惟」は、今生において「輪廻の苦」から抜け出す事ができるように、(+その方法を)探し求めるものである。
(8-4につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<「37道品ハンドブック」Ledī Sayādaw著 中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>