Sayalay's Dhamma book

テーラワーダ系仏教書の翻訳は2019年夏を持ちまして終了致しました。これまでに翻訳しました内、23冊は<菩提樹文庫>にてPDF版を読むことが出来ます。今後、翻訳文を掲載する予定はありませんが、偶には<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。学問的な議論ではなく、ただの雑談、独り言です、お楽しみ頂ければ幸いです。2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得ました。 初心者の疑問にはコメント欄にて対応します。

★飛び入り翻訳~《基礎発趣論(業縁と果報縁)》2-35

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

善業の実践

この物語から、我々は、仏教の教法の中において、現在

(ナ)した善業の果報は、現世で熟すとは限らない;ただ重業の、その果報だけが、次の世において熟すのだと言う事が、決定的に言えることが分かる。

重い善業とはすなわち、禅定を修習する善業を言い、この種の善業は、疑いなく未来において、果報を生じせしめる;

重い不善業は父親殺し、母親殺し、阿羅漢殺し、サンガの和合の破壊、仏の身体の血を流させる等の五逆罪である。

これらの悪業は、疑いなく、悪道へ落ちる果報を引き起す。

その他の業は、熟す時期を待って、ようやく果報を生じせしめる。

今生において、我々は、善の果報の時機と、因と縁を善く把握して、己自ら、他人には替って貰えない所の種々の善行を、身をもって、実践しなければならない。

《発趣論》において、業縁は、果報縁に付き従って、果報をして、熟せしめるものであると言う。

業縁と果報縁は、時節因縁が熟して初めて、果報は現起(現象)するのである。

この部分は明日、お話する。

Nān āppakār a ṭh ān āni bodhit ānettha mininā 

Anantanayapa ṭh ānam 

vande anantagocaraṃ(原文ママ)

礼賛

この意味深い《発趣論》の内において、無上の牟尼と称号される大覚世尊は、因縁、所縁縁等の諸法でもって、先に、一切知智によって、遍知した後、一切の衆生にも、これらの法義を知らしめた。

私は一生のうちに一度、このような得難き殊勝なる教えに、出会う事が出来た。

誠心稽首し、無辺なる智慧を有する仏智に礼拝する事によって、初めて広大で奥深い《発趣論》に遊ぶことができる。

(3-1につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。

<《基礎発趣論(業縁と果報縁)》 中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>