Sayalay's Dhamma book

中国語で書かれた仏教書(主にテラワーダ、南伝仏教系)を日本語に翻訳して公開。たまには<般若の独り言>にて日常の心模様を独白します。                    2018年5月25日クムダ・セヤドーより初心者瞑想指導の許可を得る。 コメント欄はどなたも利用OKですが、リトリートに入っている時は回答致しません。

翻訳『禅修指南』9-29

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

(二)異性理(Nānattanaya)

因名色と果名色(たとえば、無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死などなど)は、同一の、一個の相続流の中において、生起する事、また、因果の関係を保つものである事を識別できる時、以下の事柄も、知らねばならない。

1、それらをして、個別の心識刹那と、個別の色聚である、と識別できる事。

2、智でもって、一個の心識刹那において生起する所の色聚と、名聚もまた、識別できる事。

3、(上に述べた通り、諸々の縁起支は、単独で生起する事はできないが故に、それらは自然・当然に、名聚・色聚と呼ばれる組み合わせ・構造を形成する事によってのみ、生起する事ができる。)

名聚(すなわち、同じ一つの心識刹那の中において生起する所の名法)の中の、一つひとつの究極界(paramattha dhātu)の自性相、および色聚の中の、一つひとつの究極界の自性相を、如実に知見できた後、新しい究極界だけが生起している事を、徹底的に知見できる時、彼は、已に異性理を理解した、と言える。

禅修行者は智でもって、究極界の相、作用、現起(現象)と近因を知見しなければならない。禅修行者が己自身自ら徹底的に、因果の関係によって、新しい究極界が生起する事を知見できた時、彼は已に、異性理を了解して、常見を断じ除く事が出来る。

もし、彼の観法に誤謬があり、同一の名色流の中において、生起する所の名色法は、皆、各々個別の名色流に属するのだと思った時、彼は以下の様な断見を持つ:

「今世において、この私がそれを体験し、あの一生では、あの私がそれを体験した」と。

(断見とは、異なった名色流が存在するのだとする邪見である。あの、善または悪を造した人はこの人で、善報または悪報を体験している人は、また別の人間であると思う事)

(9-30につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。http://bodaijubunko.sakura.ne.jp/index.html

<本雅難陀尊者(Ven. U Puññānanda)著 『禅修指南』Meditation Guide 第二版  中国語→日本語 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>