Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)2-4

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

仏陀が成立させた比丘尼サンガは、1000年の長きにわたって栄えたが、しかし、最終的には、戦乱と飢餓などが原因で、伝統が断たれてしまった。仏陀が改めて比丘尼サンガを再建する方策を残していなかったために、現代の上座部仏教の地域では、女性の出家者は、すべて 8戒を守るか、または 10戒を守る者である。

タイでは、女性の出家者は、通常皆、8戒尼であり、メーチと呼ばれる。

比丘と同じく、メーチも剃髪し、一般の在家者よりも厳しい、厳格な戒を守り、在家と区別をつけるために、純白の衣を着用する。

メーチの行い、着衣と生計に関して、みな厳格な規範がある。

彼女たちは、雇われ人にならないし、給金の出る仕事につかないし、売買の仕事に従事しない。

彼女たちは教育を受けて、厳粛な姿と威儀を保ち、そのことによって、衆生が真実、誠心誠意仏法を修習することを発心するよう、激励するのである。

(2-5につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は

<菩提樹文庫>まで。ご協力、よろしくお願いいたします。

<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」Dhammavamsa Publication

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)2-3

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

仏陀の時代、非常に多くの女性修行者がいたが、大部分の人々は、聖道において果位を証得し、多くの女性が、仏陀の称賛を浴びた。

仏教の早期の経典の中で、仏陀の女性弟子たちが、褒め称えられているのを見ることができる:

彼女たちの精進、智慧と衆生を指導する能力は、賛美された。

当時、多くの女性が、世俗の家族を捨てて出家して、出離の生活を過ごした事に、疑問をはさむ余地はない。

実際、仏陀が女性の出家を許した後、大量の婦女が女性サンガに加入した。当時の社会の女性に対する各種の束縛を考えると、これは一つの非常に大きな成就・成果であった。

その当時、男性が父母の元から離れ、妻と子どもを置いて出家することは、彼の求道の願いが堅固であること、道業のために家庭を捨てることは功徳だと考えられた。

しかし、この方面において、女性の出家は困難を極めた。

女性は、男性とは全く異なっていて、それほど自由ではなく、出家するには、夫の無理難題に耐え、許可を得なければならなかったし、通常、女性は、年老いた父母や、子供の面倒を見なければならなかったからである。

仏陀が尼僧サンガを創設して、女性にとって、方便として利用できる扉を開いたため、そのことによって、女性たちは、出家生活を送ることができる機会を得、社会の習俗と文化の限界を、突破することができた。

仏陀は、女性が仏法を理解する能力は、男性と同等であると認めたが、このことは、当時(+のインドの人々)にとって、一個の革命的な考えであったのである。

(2-4につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」Dhammavamsa Publication

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

 

 

 

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)2-2

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

まえがき

本書の内容は、この人生で、菩提道において、最も高い果位を証得した一人の女性ーーメーチ・ケーウーーの修行とその生涯について、書かれたものである。

メーチ・ケーウは子供の時から修道の生活を指向し、少女の頃から、非常によい因と縁に恵まれ、何人かの、当代最も著名な禅師に出会うことができた。

彼女は、彼らの指導を尊び、従い、赤子の心のような真心と誠意をもって、修行した。

根器が鋭利であった為、彼女は非常に速くサマーディの道に精通し、禅の修行における年若い奇才となった。

彼女の心は、深い定に何時間も、軽々と入ることが出来、多くの不思議で美しく妙なる境地を観察することができた。

そうではあっても、家人の干渉によって、メーチ・ケーウは、最初は、出家して修道する希望を叶えることができなかった。

彼女はただ忍耐して、チャンスが訪れるのを待ち続けるしかなかった。

20年を数える、決して円満ではなかった結婚生活を経て、彼女は出家する因と縁が熟し、剃髪得度して、メーチとなった。

出家の後、彼女は長年、多くの著名な禅師と共に生活し、修行した。

これらの禅師は、彼女の入神の禅修行の様子に讃嘆した。特に、彼女の神通に対する熟練した様は、禅修行の指導者であってさえも、彼女と同じレベルである人は、何人もいなかった。

しかしながら、更に得難いのは、彼女は、この無常なる世間への執着を断ちきる事に成功し、最終的には、徹底的に解脱した所の、無為の境地を証得し得たことである。

現代社会において、人に知られた阿羅漢尼の一人として、彼女は生き生きとした生身の模範であり、一個の衆生ーー男女を問わず、種族、階級の別なくーーみな、仏教の最も究極の果位を証悟することができることを証明した。

(2-3につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点原文ママ。★誤字脱字を発見された方は

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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」Dhammavamsa Publication 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

 

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)5-78

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

8-8-1 五蓋の除去

五蓋とは、欲欲、瞋恚と恨み、昏沈と眠気、掉挙と後悔、疑い(+の五つ)である。

この一セットには、特別に、注意を払わねばならない。

というのも、これらは、仏陀が、禅の修行における、障礙の主要なものとして、分類していたものであるから。

このグループの中に含まれる煩悩は、初禅を阻害し、人々が期待する所の、解脱の獲得と開悟の進捗を阻害するものである。

それらが「蓋」と呼ばれるのは、それらが、心を阻害し、心を覆い尽くして、止禅と観禅という、二種類の、禅の修行における向上を、妨害するからである。

故に仏陀は、五蓋を「心の障礙、蓋、汚染、慧を削いで弱くするもの」(≪相応部≫)と述べた。

また、仏陀は:

「比丘たちよ。この五蓋は、(+人を)盲目にし、失明させ、無知に陥らせ、慧と対抗し、煩悩と共にあり、(+それゆえ五蓋があると)涅槃から離れるような事態になる。」と言った。(≪相応部≫)

(5-79につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

是誰庵のひとやすみ~ヨーグルトスープinインドとタイの間

インドはタミール地方に、ヨーグルトカレーというのがあるらしい。

材料表を見ると、ジャガイモ、ヨーグルトは常備してあるものの、チャナダル、フェヌグリークなんてのは、ハナから、何のことか分からない。

で、ハタと膝を打って、タイのグリーンカレーのルーを代用してみた(グリーンカレーのルーは、簡単に買える)。

★以下は2、3人分の目安。

ジャガイモ2、3個 →茹でて粗く刻んでおく。

水         →一人当たり150~200cc

タイのグリーンカレーのルー→小さじ2

ブイヨン      →一個。

ココナツクリーム(ココナツパウダーを溶いたもの) 

          →大匙2。

ヨーグルト、適量。

トッピングに香菜。

なければセロリの微塵切りでも、薄切りした玉ねぎでも。

まず、鍋に水を入れ、沸いたら、ブイヨンを入れ、次に、カレールーを放り込んで溶かし、茹でたジャガイモを入れて、最後にココナツ(クリーム状になったもの)を入れて一煮立ち、それをミキサーにかける。

ミキサーにかけたものを、再度、鍋に戻して加熱。

スープが沸騰したら、熱々の所をカップに入れて、冷たいヨーグルトを投入、ヨーグルトを崩しながら食する。

あっと、トッピングをお忘れなく。

ご馳走様でした。

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)5-77

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

8-8 初禅

あなたがこのようにして、ジャーナに到達したならば、あなたの心は、まったく中断することなく、安般念似相を覚知することができる。

この状態は、何時間も、または一晩も、一日中でも持続することができる。どのようなジャーナであっても、二つの方面からの育成によって、証悟することができる:

一つは、その不善法を取り除く事で、もう一つはその法の構成を、獲得することである。

前者を「捨離支」といい、後者を「具備支」という。初禅でいえば、「捨離支」は五蓋であり、「具備支」は五禅支である。

この二者は、初禅の標準的な形容法として、言及される:

「完全に欲楽から遠離し、完全に不善法から遠離し、比丘は、尋・伺・喜と寂静生楽の初禅に安住する。」

この標準的な形容法の最初の段落、「完全に欲楽から遠離し、完全に不善法から遠離し」という部分は、五蓋を取り除く事を指している。

当該のジャーナに含まれる法の第二の部分は、「具備支」の説明である。

(5-78につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点原文ママ。★誤字脱字を発見された方は

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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)2-1

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

 “私が子供の頃、寺院に行く時は、必ず父母が同伴しなければならなかったし、比丘と混じって座ったりする事は、決してなかった。

比丘たちが仏法について討論している時、私はその後ろの、なんとか聞き取れる場所にいて、座って聞いた。

禅の修行を教えてくださる教師は、我々に対して、仏への礼拝の仕方、仏陀の功徳への讃嘆、読経の仕方を、教えてくれた。

彼は、我々に、慈心をすべての衆生に、回向するよう勧めた。

また、日常において、人として、率直で正直であれ、気概を持て、と励ましてくれた。

また彼は、在家者として、我々が、どれほど惜しみなく布施をしても、その功徳は、出家してメーチになり、誠心に修行して、一切の苦を滅する事には及ばない、とも話した。

私はこれらの話を、しっかりと心に刻み付けた。” 

               --メーチ・ケーウ

(2-2につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は

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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」Dhammavamsa Publication 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>