Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)3-3

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

19世紀の末、莫拉限府の首長は、達頌・祥藍という名の普泰人を、卉晒村の地方長官として任命した。

その職務は、紛争の調停、風紀の矯正、また、当地の公共の秩序を守り、社会の安寧を齎すため、普泰族に法律を順守する事を勧め、指導するものであった。

達頌法官は、執務に当っては、公正で情理に通達し、一心に人民に奉仕した。当地の治安を維持すると同時に、彼は普泰族の伝統と習俗の継承、保護にも、尽力した。

彼の妻は端といい、温和で慈しみ深い女性であった。彼女も法官であったが、それは名目だけで、実際に執行するべき任務はなかった。

彼女は、普段は家事をして、子供を育てた。

彼らには、合計5人の子供がいた。

上の三人は男の子で、下には二人の、年の近い女の子がいた。一番小さい女の子は、1901年1月8日の早朝に生まれ、端はこの子に、達白という名を与えた。その意味は ”人の注目を引く”である。

達白は、小さい時から一種の神秘的雰囲気を擁して、ある種の事柄を知ってはいるが、言い出せないでいる、という風情であった。

彼女が話ができるようになってから、彼女は母親の耳元で、小さな声で、夜中に自分がした己の冒険:一塊の光と一緒に、美しく、妙なる場所に漫遊したという事を、打ち明けるのであった。

彼女はその話をしながら、嬉しそうにフフフと笑うのだが、しかし、それがどこなのかを説明することができないで、ただ身振り手振りで知らせようとした。

後年、達白はメーチになった。

彼女は自分が小さい頃に、多くの、天界から来た遊び友達がいた事を、思い出した。

これらの天人が発光する身体のさまは、彼女だけにしか見えなかった。

彼らは、彼女の過去世において、何度も生まれ変わりながら、共に修行した修行仲間で、彼女の心が肉身に耽溺し、人間界に沈むのを心配して、特別に、彼女の心識が体から離脱できるようにした上に、彼らと共に、天界に遊びに行けるようにしたのである。

(3-4につづく)

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>まで。ご協力、よろしくお願いいたします。

<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」Dhammavamsa Publication 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)5-83

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

尋(vitakka):

尋の特徴は、心をして、目標に投げ入れるか、または、向かわせる事。たとえば、安般似相などに;

作用は、全面的に、目標に中る事。

故に、禅の修行者は、それに頼り、尋によって、目標に中る、という;

顕現する現象は、心をして、目標に向かわせる、たとえば、安般似相など。

伺(vicāra):

伺は、維持を意味する。その特徴は、持続的に目標を押す、また心をして目標の上に維持せしめる、たとえば、安般似相等;

作用は重複して、相応する名法を目標の上に置く;

顕現する現象は、それらを目標に釘付けにする事。

この二者は、場合によっては、分離できないものであるが、尋は、心の第一次的接触である。

というのも、それは粗く、また始めたばかりなので、まるで鐘を叩いているかのようである。

伺は、持続的に圧することを通して、心をして、目標に釘付けにすることであり、それは、鐘が鳴っているようなものである。

尋は、介入である。最初に心念が生起する時、心に介入し、それはちょうど、翼を震わせて、高みの天空に飛び立とうとしている鳥のようであるし、また、花の香りを感じて、蓮の花に向かう蜜蜂のようでもある。

伺の行為はすなわち安寧で、心に干渉しないで、翼を広げて天空に飛ぶ鳥のようであり、また、蓮の花に向かった後、花びらの上方で、ブンブンと羽を鳴らす蜜蜂のようである。

(5-84につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)3-2

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

卉晒村(Baan  Huay  Sai)は、旧シャム莫拉限府坎差伊県(Kham Cha-ee district)の小さな普泰の農村で、メコン河沖積平原の端、盤山山脈の南部が伸びた先の、起伏のある高地にあり、その両脇には、卉邦晒河(Huay Bang Sai river)と卉邦伊河(Huay Bang Ee river)が流れている。

初期のころ、卉晒村は開墾地域で、密集した原始の密林の中にあり、簡素な高床式家屋が、天を突く巨木がつくる緑陰の下に、ぽつぽつと建っていたに過ぎない。

ここの民衆の様子は、精悍不羈で、生活は簡単で素朴、自給的農耕と狩猟によって生計を立てた。各自一戸ごとに、村落の周縁にある肥沃な土地を整地して、きれいになった土地に稲を植えた。

耕作地を過ぎると、虎や野生の象が出没する濃密な森林で、住民は、この深くて広い森林が、危険と恐怖を隠し持っていると深く信じていた。そのため、ほとんどの活動は村落の内側で行い、越境することはなかった。

メコン河河畔の、非常に肥沃な土地に落ち着いたばかりの時、莫拉限は小さな国家であったが、後にシャム・チャクリ王朝の属国となり、部分的な自治権を擁した。

伝説によると、昔、三人の王室の姉妹ーーケーウ王女、ケロン王女、ケー王女ーーがいて、卉晒村で生活していた。

彼女たちの性格は、母系の血縁によって受け継がれ、普泰人の民族的性格の中に深々と刻印されることとなった。

この一族の身体には、彼女たちの血が流れており、彼女たちの鮮明な個性が浮かび上がる、すなわち:鋭敏な才智、堅固な意志及び公正な品格である。

誇りに値するこの規範を受け継ぎ、独立的な性格を有する普泰人は、伝統、風俗と言語を通して、族人を纏め、その結果、神聖なる伝承は、世代に受け継がれ、綿々と絶える事がなかった。

(3-3につづく)

   <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājem>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は

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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」Dhammavamsa Publication

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)3-1

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

第一章 在家ーー浮世の歳月

生在這個世界、

(この世界に生まれて

我們很重視消逝的

我々は去りゆく

毎一天、毎一月、毎一年、

月日を惜しみ

珍惜自己和別人的生命、

己と他人の命を惜しむ。

因此心総是巻入憂苦和悲痛中。

その故に、心はいつも、憂いと悲痛の中にある)

月光珠

9世紀、中国西南部タイ族は、徐々に、南方に移動し始めた。

その勢いの先頭は、雨季の洪水のように、水は滔々と、天の色と共に変化し、水流の方向は、地形に沿って行く道を変え、鬱蒼と茂る森林に染み入り、肥沃な平野を覆い、多くの、同種で文化を同じくする、異なる部落のタイ族もまた、地勢をたどりながら、遠くへ遠くへと前進していき、中国西南部から古代シャムの土地、その高山と盆地に降り立った。

多くのタイ族の中、その一つの支族が、普泰族と呼ばれるが、彼らは非常に独立自主的な農民と猟師であった。

普泰族の源は、古代中国紅河流域で、連綿と続く戦乱のために、隣接する南部のラオス領に逃げ、幾世代の移動を重ねて、徐々にメコン河湖畔に至り、この内陸において、何百年かを落ち着いて暮らした。

その後、再度河を渡って、西岸の比較的土地が肥沃な地域に至り、最終的、その地に住みついたのである。

数世紀にわたる苦労の経営ーー干ばつ、水害などの自然災害、及び社会的な災難を経てーー叡智ある普泰人は、徐々に統一され、一人の世襲の部落指導者、一群の屈強な武士と官吏によって、莫拉限王国が打ち立てられたーー国名は普泰人が川床から発見し、莫拉の月光珠と呼んでいた宝の名から取られたーーここが普泰族によるこの地域の文化的中心となった。

(3-2につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」Dhammavamsa Publication

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)2-9

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

仏教界において、禅定に精通する比丘の僧侶たちは、文化の偏向の影響を受けない。

彼らは、真正に修行する八戒修行女は、深い境地を証得することができる、と肯っている。

実際、女性たちは仏法に対して、非常に高い悟性を持っており、また同時に、深い定に証入し、殊勝な知見と智慧を、育成する能力を有している。

タイでは、多くのメーチと女性居士の成就は、男性出家衆を超えている。故に、通常、禅師は女性修行者を非常に尊重し、根器の上において、女性と男性は、同等であると考えている。

当代、タイの森林仏教の伝承では、多くの、人格が優れ、度量が大きい禅師は皆、女性たちは、最高の果証を修得することができると信じ、かつ常に、女性出家者たちを、模範的教師だ讃嘆する。

非常に多くの森林禅師の膝下には、公認されて教師となった女性弟子がいるが、これらの出家または在家の女性弟子は、積極的に仏教活動に参加し、己自身の出色の能力によって禅師、治療者または善知識の役割を果たし、深く、地域社会の尊敬を受けている。

メーチ・ケーウはちょうどこのような女性であり、彼女のような女性禅者が残した模範は、人は、男女を問わず、仏法を実践する事ができることを証明し、後に続く修行者の道心を、激発することとなった。

(中略)

この伝記は、相対的に言えば、学術的なものよりも、叙事的なものの方が多い。

それは、修行者による、真実誠心なる道心を激発したいがためである。

このことから、本書の内容は、読者と共に探索を重ね、仏道の上において解脱した一粒の心が、どのように奥深くまた微妙であるかを、知って頂きたいと思うのである。

(3-1につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」Dhammavamsa  Publication 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

 

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)2-8

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

メーチ・ケーウは、田舎の女性である。

彼女は、タイの東北部の普通の農村で、簡素で素朴な生活を送っていたが、苦悩を滅し去るために、幾重にも重なる、多くの困難を克服して、家を離れて、仏陀の聖道を追い求めた。

彼女の頑張り、彼女の勇気、さらに彼女の直観的智慧が、彼女の一切の世俗的限界ーー外部的な社会生活の諸々の気がかり、内部的な心霊の手かせ足かせーーを超越させ、彼女をして、生死の束縛から解脱せしめる事となった。

彼女の生活と修道は、その他の女性修行者と同じような困難があった。

しかし、彼女は平然と、これら一切の挑戦を受け入れ、伝統的な出家制度の中に、巧みに溶け込み、心をば、悠久なる源流を持つ伝統に預け、逆境を、増上縁に転換する事に、成功した。

彼女は、現実社会の不平等を恨むこともなく、一粒の、清明な心に、工夫をこらして修行する事と、自在に心を運用する事を通して、最終的には、自我と文明が同調する所の、固く打ち破れることのない無明を、滅し除いたのである。

振り返って、出世間の智慧でもって観察すると、彼女が一生涯を過ごした所の、あの強固な階級と不公平は、すでに雲消霧散していたのである。

(2-9につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」Dhammavamsa Publication

中国語版→日本語訳出翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

 

 

是誰庵のひとやすみ~明鏡止水

先ほど、パオ・セヤドーの「顕正法蔵」(No.5-82)を翻訳していましたら、「明鏡止水」という言葉が出てきました。

私、68歳にして、ようやく、この言葉の本当の意味を知りました(イヤ、遅い!遅すぎる!けど、知らないよりは、よかったゾ!)。

我々の心臓の中から、<心~ciita>が湧いてきます。心は、認識する対象を取りますが、前世の死ぬその瞬間の心に浮かんでいたイメージを対象に取る心を、有分心と言います。

そして、己自身の有分心は、己の心眼で見ることが出来て、それは明るく光っていて、似相を映し出す事が出来るから明鏡のようだ、と「顕正法蔵」は言うのです。

はぁ~~。

このこと、すなわち、有分心は明鏡の如くであり、それは、自分自身が禅定(ジャーナ)に入る事によって、直接知覚する事ができる。

という上記の心の本質を知って、「私の心は明鏡止水の如く」と発言されている政治家、宗教家の方、禅宗のお坊さん、どれくらいいるでしょうかねぇ。(『私の心は明鏡止水。国民の為に尽くします』と言っていた政治家、いたなぁ)

只管打坐しかり。

明鏡止水しかり。

本当の意味を知る頃は、すっかり老婆になってしまったゾ!(まっ、いいけど)