Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(9-20)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

(9)欲解脱智(Muñcitukamyatā ñāṇa):

これより以前に累積した所の、強くて力のある観智によって、この段階において、あなたは、五蘊に対する厭離の感覚が、更に強烈に強化されて、五蘊から解脱したいと思う。

(10)審察随観智(Paṭisaṅkhānupassanā ñāṇa):

諸々の蘊の無常・苦・無我を審察(=省察)する。

故に、観智は、以前よりもなお、更に深く、強くなる。

(11)行捨智(Saṅkhārupekkhā ñāṇa):

五蘊に対して、中捨を育成する。

あなたは、あなたの五蘊への見方が変化し、それらを畏怖したり、または良いと、思ったりはしない。

今はただ、中捨の心でもって、それらを遇する。

(12)随順智(Anuloma ñāṇa):

これは、遍作智の一種である。

五蘊の観智から、涅槃の観智へと、橋渡しとなる通路となる。

ひとたび、この種の観智が生起したならば、あなたは、最後の四種類の智もまた、必ずや、証得する事ができるであろうことを、意味する。

(13)種姓智の変更(Gotrabhu ñāṇa):

この種の観智は、涅槃を所縁として取る。

それは依然として世間智である。

というのも、それはあなたをして、凡夫(puthujjana)から、聖者(ariya)へと向かわせる過度的なものであるが故に。

この9種類の観智(5番目から13番目まで)は、vipassanā の第三段階であると言える。

最後の三種は、vipassanā の第四の段階であり、その内の前二種は、出世間智であり、最後の一種は、世間智である。

(10-1につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著(原題「証悟涅槃的唯一之道」) 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(9‐19)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

我々は次に、vipassanā の第三段階について、

論談する事にする。

すなわち、以下の 9種類の観智である:

(5)壊滅随観智(Bhaṅgānupassanā ñāṇa):

五蘊の壊滅を、特に(+重点的に)観照する。

その事によって、あなたの修習は、その無常・苦・無我の相の観智に関して、更に強くて力のあるものになる。

(6)畏怖現起智(Bhayatupaṭṭhānā ñāṇa):

五蘊が継続して壊滅し続けるのを観照して、畏怖を覚える。

その事によって、あなたの修習は、その無常・苦・無我の相の観智に関して、更に強くて力のあるものになる。

(7)過患随観智(Ādīnavānupassanā ñāṇa):

五蘊が継続的に壊滅する過患を観照する。

その事によって、あなたの修習は、その無常・苦・無我の相の観智に関して、更に強くて力のあるものになる。

(8)厭離随観智(Nibbidānupassanā ñāṇa):

五蘊が絶え間なく壊滅する以外に、何か喜ばしい処がある訳でない事の真相を観照する。

その事によって、あなたは、五蘊に対して、厭離を感じる。

この段階において、あなたの心は、無生、寂静なる境地の涅槃に傾く。

(9-20につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著(原題「証悟涅槃的唯一之道」) 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

般若の独り言~rūpakalāpaを見るまでは(2)

もうすぐ年末ですが、毎日せっせと、パオ・セヤドー著『涅槃証悟の唯一の道』を、翻訳しています。

Hatena blog では、作表が出来ませんので、原文 P135 以降にある付表は、すべて割愛させて頂きますので、後2、3日で終わらせる事が、できる様です。

しかし、ゴータマ仏陀の正等正覚、もはや<感動>を通り越して、総毛立つ程の・・・としか、いい様がありません(そりゃ、《仏陀》と尊称されるお方、半端ないですよね。)

私は若い頃から、ゴータマ仏陀は何を悟ったのか、非常に興味と関心がありましたが、どなたに訊ねても、なかなか納得する説明に、出会うことができませんでした(注1)

一度『天台摩訶止観』という、天台宗で使われていると思われる、日本語の仏教書を読んでみましたが、その時は、よく理解できませんでした。

ところが、30歳過ぎて、タイの森林僧院に行く様になって、森林僧院の僧侶に「ここでは何を教えているのですか?」と訊ねた所、『サマタ・vipassanā(止・観)である』とのお返事。

そして、そのお返事に、取り立てて追加の説明もなかったのですが、私は『ああ、これ、私が探していた修行方法!』と、ストンと腹落ちしたのです。

前世の縁が熟せば、事態は勝手に動くもの・・・そんな所でしょうか。

『涅槃証悟の唯一の道』を翻訳していて、16観智の部分になると、ゾクゾクします。

道智とか果智とかの、出世間智の部分に到達するのは難しそうですが、初歩的な観智の部分ならば、凡夫の私でも、一歩一歩精進して進んでいけば、必ず到達する事ができる。そんな気がするのです。

20日は、愛犬オハナの虫歯を抜く日です(ちょっと遠くの、評判の良い動物病院まで、出かけます。)

それまでに翻訳を、終わらせられそうです。

誤字・誤植などありましたら<菩提樹文庫>まで、よろしくお願いいたします。

(注1)タイの森林僧院では、安般念を教えて頂いていましたが、パオ・セヤドーの著書に出会った時の衝撃は、今も忘れる事ができません。

 <緬甸パオ森林寺院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(9-18)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

(130/160)

前13種類の観智

合計16の観智があるが、我々は、前の四種類については、すでに論談した。

その内、以下の観智は、vipassanā の第一段階である、と言える:

(1)名色識別智(Nāmarūpapariccheda ñāṇa):

五取蘊を識別し、かつ分析する。

すなわち、過去、現在、未来、内と外、粗さと微細さ、劣等と優秀、遠と近の究極色法と究極名法を、識別するのである。

次の三種類の観智は、vipassanā の第二段階である。

(2)縁摂受智(Paccayapariggaha ñāṇa):

正順と逆順において、五蘊の縁起を識別する。

(3)思惟智(Sammasana ñāṇa):

諸蘊の無常・苦・無我の相を観照する。

(4)生滅随観智(Udayabbayānupassanā ñāṇa):

諸蘊の縁生滅と諸蘊の刹那生滅を観照する事によって、あなたは無常・苦・無我相の観智において、更に強くて力のあるものになる。

(9-19につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著(原題「証悟涅槃的唯一之道」) 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

 

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(9-17)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

第三節 観業処の第三段階

禅修行者は、同様の道理を用いて、八支聖道の八項目の要素が、どの様にして、観の修習の第三段階において生起するのかを、理解することができる。

まさに仏陀が《大念処経・入出息念部分》の中において、説くように:

【[3]彼が ’有身’(atthi kāyo’ti)の念を現起(現象)する のは、ただ智と憶念の為のレベルである(yāvadeva ñāṇamattāya paṭissatimattāya)。】

ここにおいて、仏陀は、禅修行者が、益々高度な観智の禅の修行に、邁進している事に、言及している。

(9-18につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著(原題「証悟涅槃的唯一之道」) 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(9-16)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

(1)正見(sammā-diṭṭhi):

智慧で以て、色法の無常を覚知する。

(2)正思惟(sammā-saṅkappa):

尋(vitakka)心所に相当する。

心をして、色法の無常に、投入せしめる。

(3)正語(sammā-kammanta):

事前に、受持する所の、虚妄語を遠離するなどの学処の事。

(4)正業(sammā-kammanta):

事前に、受持する所の、殺生を遠離するなどの学処の事。

(5)正命(sammā-ājīva):

事前にすでに受持する所の、相当の学処。

(6)正精進(sammā-vāyāma):

色法の無常の覚知に尽力し、心をしてそれに投入せしめ、それに専念せしめ、それに専注せしめる。

(7)正念(sammā-sati):

色法の無常に専注する。

同時に、その他の要素が色法の無常から離れない様にする。

(8)正定(sammā-samādhi):

色法の無常に専注する。

上記が、八支聖道の八項目が、どの様にして観の修習の第二段階において、生起するのかという説明である。

(9-17につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著(原題「証悟涅槃的唯一之道」) 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>

『涅槃証悟の唯一の道』 パオ・セヤドー著(9-15)

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

観の修習の第二段階における八支聖道

ここにおいて、あなたが、観業処の第二段階を修習する過程においてもまた、引き続き、八支聖道を育成しているのである、と言える。

どの様な時であっても、あなたが、究極色法、究極名法および、その因の三相の内の一つを、了知しているのであれば、我々は、あなたにおいて、すでに八支聖道の要素が、生起しているのだ、と言う。

そして、それらの所縁は、色法であり、名法であり、または、ある種の縁起支の無常相、苦相、無我相なのである(+と言う)。

例えば、あなたが、究極色法を無常であると観照している時、この八項目の要素は、色法の無常(rūpa-dhamma)を所縁とするのである。

正語、正業と正命という、三種類の戒行の要素は、実際には、何等の法の無常を、所縁とはしてないものの、しかし、我々は、それらを内包するものと見做す。

というのも、観業処の修習を始める前に、あなたはすでに、五戒、八戒、九戒、十戒、または比丘の 227学処などを、受持したからである。

この様な、八項目の要素とは:

(9-16につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。

<『涅槃証悟の唯一の道』パオ・セヤドー著(原題「証悟涅槃的唯一之道」) 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>