是誰庵日記>嘔吐感
今日は福岡まで、ヨカロウバスに乗って、出かけてきました。
目的は、M禅師の法話会への参加。法話の内容は、主に
アビダルマの解説。
その中でM禅師は「仏陀は四聖諦を強調している」「四聖諦とは、
人生を苦と定義した上での、その乗り越え方」と言い、また
「人生って本当にいいものですか?」「人生って嘔吐感を内包し
ていませんか?」などのお話がありました。
この<嘔吐感>について・・・。
私は詩人でもなく、作家でもないので、上手く表現できないの
ですが・・・。最近よく、この<人生への≪嘔吐感≫>を感じるの
ですよね、還暦を過ぎで・・・このかた・・・。
私の人生で良かった所は、5歳の頃に「大きくなったらお釈迦さま
の事を勉強する!」と発心し、その目標を、現在に至るまで、ほぼ
ぶれずにいる事、二人の息子が、一応、健全な社会人になってくれ
た事。その他細かい事、色々<いい事>はありますが、それでも
「一体なんのための一生だったのか?」という思いは消えないですね。
そして、時々やってくる嘔吐感。
この<嘔吐感>は、「一体なんのための一生だったのか?」と<頭で>
考えて、分析している時ではなくて、「人生とは無意味な繰り返しなの
ではないか?」と<感じた>時に、嘔吐感はやってくるようです。
中原中也のような詩人なら、こういう感覚を上手く表現できるので
しょうが、私には無理。
でも、嘔吐感は確実に存在していて、人生のむなしさを胃の腑が
教えてくれる。
M禅師は「人生というゲーム、降りませんか?」と言っていました。
さて、あなたなら?