2014-06-22 是誰庵仏教談義>アチャン・チャーの湖 仏教 私がこの Y 盆地に越して来て、7月で丸3年になります。 持病の浮腫は、市営の温泉館で水中運動する事で寛解したし、 友人も何人かできて、ここへ引っ越してきて本当に良かった と思う日々です。 ただし、好事魔多しで、私に何かと意地悪したり難癖をつけて くる人が若干 2 名います。それで悔しい思いや、腹立た しい思いをする事があるのですが、今朝座禅・瞑想していて、 ふとアチャン・チャーの<心を湖に例えた物語>を思い出し ました(アチャン・チャーは東北タイの僧侶。すでに遷化しまし たが、生前、アラカンになったと言われているタイの聖者。 私は彼の孫弟子)。 アチャン・チャーは言います「心は森の中の湖のようなもの」 「いつも何かの動物が湖に水を飲みに来て、湖には彼らの姿が 映ります」「しかし、彼らはやがて立ち去ります」「立ち去っ た後、湖には何も残らず、ただもとの静かな湖面があるのみです」 「静かな湖は以前からそこにあり、いまもそこにある。ただそ れだけ」と。 ああ、そうなんだ。意地悪をされて心が騒ぐのは、私の湖(心)に 森の動物が姿を現し、彼らの姿が湖面に映ったからなのだ。彼らは 用事(自分のストレスを他人にぶつける)が済めば、去って行く。 湖自身が水を飲みに来た動物を追いかけないように、私も彼ら (の言動)を追いかけなければよい。 これは仏陀の<二矢を受けず>の教えの、湖バージョンである (タイは密林が多いから、二矢の例えより、湖の例えの方が タイ人に受けるのかも)。 座禅・瞑想すれば、心は明鏡止水、静かな湖は二矢を受けない、 という事が分かる。 座禅・瞑想、よかった!(笑)