パオ・セヤドー問答集~#259、#261~#263問答(15)問15-50、15-52~15-54<慧学疑問編>
☆11月より長期リトリートに入る為、公開の翻訳文が少し多くなっています。よろしくお願いいたします。
#259-151001
問15-50 正念とは何ですか?正念がある時、必ず正知を伴いますか?
答15-50 正念(sati)には四種類あります。すなわち、
- 身念処:身体に対しての憶念を忘れないこと。(2)受念処:受に関する憶念を忘れないこと。(3)心念処:心に対して憶念を忘れないこと。(4)法念処:法に対して憶念を忘れないこと。
このように、正念とは心をして、身体、受、心、法という四種類の目標に安住させ、それらをしっかりと忘れないこと、です。
正念の特徴(又は相)は、中が空洞の瓢箪が水に浮かぶのとは違って、石が池に沈み込むように、目標に沈み込んでいく事です。正念は、自分自身と相応する名法と共に、禅修行の対象に沈み込んでいきます。あなたが安般念を修行する時、あなたの正念は気息に沈み込まなければなりません。
正念の作用(又は味)は、禅修行の対象を忘れない事です:それは、不断に心をして対象に保定させようとします。
正念の現状(又は現起)は、心又は禅修行の対象を保護して、正念と相応する心理状態が煩悩に制圧されないように、煩悩が入り込む隙のないようにする事です。
正念の近因(又は足処)は、禅修行の対象に対して強くて安定した想、又は四念処です。
正知には四種類あります。すなわち、
- 有益正知(sãtthaka sampajañña):ある行動が善法の利益があるかどうか知る智慧。(2)適宜正知(sappā sampajañña):ある行動が、行動するに値するかどうか知る智慧。(3)行処正知(gocara sampajañña):常に止禅修行に専注する智慧:40種類の止禅業処を含む。(4)不痴正念(asammoha sampajañña):究竟名色法、名色法の因縁及びそれらの無常・苦・無我の三相を了知する智慧。すべての観禅(vipassanā)を含む。正念は、通常は正知(sampajañña)と同様に生起します。正知とは智慧又は観智の事です。修行者の正念と正知が共に強くて力のある時、止禅と観禅の修行は簡単に成功します。修行の過程において、正念が強い時、定力も強くなります。正念と定力が強い時、正知も強くなります。反対に、正念が弱い時、定力も弱くなります。正念と定力が弱い時、正知は生起する事ができません。この事は、《諦相応・三摩地経》(Sacca Saṁyutta、Samādhi Sutta)の中で、仏陀が以下のように述べた理由でもあります。「比丘達よ。あなた方は定力を育成しなければなりません。定力のある比丘は如実に諸法を了知します。」
これから見ても分かるように、定力は正知(智慧)が生起する直接的な要素です。しかしながら、正念の無い時、定力は生起する事ができません。これが、なぜ正念と定力が弱い時、正知が生起する事ができないのか、という理由です。
(#260は昨日公開済)
#261-151001
問15-52 女性が修行する時の最大の障礙は何ですか?
答15-52 修行するに当たって、一人一人にそれぞれ異なる障礙があります。我々はどのような障礙が女性に特有であって、男性には存在しない、と言う事はできません。男性でも女性でも、智慧の鋭い人はいます。故に、仏陀の弟子の中には、男性の上級弟子がいただけでなく、女性にも上級弟子がいました。あなたが男性であっても女性であっても、貪欲、瞋恚、昏沈と睡眠、掉挙と後悔、懐疑というこの五つの蓋を克服する為に、修行に精進しなければならず、そうしなければ、あなたの修行は成功しないでしょう。
#262-151001
問15-53 初果聖人は後ただ7回人天(界)を往復するだけです。もし、この7回の生において、努力しないならば、解脱できるのでしょうか?
答51-53 初果聖者はすでに須陀洹道智でもって四聖諦を徹底的に了知したので、彼らが修行において精進しないという事は考えられません。
#263-151001
問15-54 純ヴィパサナ法を修して、阿羅漢になれますか?
答15-54 なれます。もし、仏陀が指導した方法によって、正確に修行するならば、純ヴィパサナ法でも阿羅漢になる事ができます。この種の阿羅漢は純観行阿羅漢と言い、通常、彼らは、四界分別観から修行を始めなければなりません。
(翻訳文責 Pañña-adhika sayalay)
初めてご来訪の方へ:上記は、台湾より請来した「禅修問題与解答(パオ禅師等講述)」(中国語版)の翻訳です(仮題「パオ・セヤドー問答集」)。「智慧の光」「如実知見」の姉妹版として、アビダンマ及びパオ・メソッドに興味のある方のご参考になれば幸いです。(一日又は隔日、一篇又は複数篇公開。日本及び海外でリトリート中はブログの更新を休みます。Idaṁ me puññaṁ nibbānassa paccayo hotu)。