精進は心で
当然の事だが、仏教の修行は、必ず仏間において礼拝したり、
念仏したりするべきだ、ということはない。
仏教における精進とは、24時間、己の起心動念(心の動き)に
注意を払い、心をして、苦痛や煩悩にはまりこまないようにし、
(二元的な)対立観念に陥ることなく、心をば、純真な、
赤子のような至誠の状態に保つようにすることだ。
これが本当の精進だ。
普通、人は皆、精進とは仏間、座禅堂において、念仏、礼拝を
することだと思っているが、なぜか、仏間から出たとたん、
他人の欠点を見つけて、不平不満を鳴らす。
仏間では、真剣に、大声を出して念仏するものだから、仏間を
出ても、その勢いで、大声で人と争っている。
将に「不増不減」であって、性格は少しも変わっていない。
三年ほど仏教を学んだ人で、自分の性格を治すどころか、却って
自信満々、何も怖いもの無し、自己を顧みる事がない(という人
がいる)。
こういう、学べば学ぶほど傲慢になる人は、我々もどうしょう
もない。本当の精進とは、己の心の上で行うものである、と
知るべきである。(つづく)
(台湾高雄文殊講堂 慧律法師著
翻訳文責 Pañña-adhika sayalay)