Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー15

原始パーリ経典の中から、仏陀の宣揚した法を探すならば、

我々は二種類の違い、区別をはっきりと、みつける事が

出来る。

第一の部分は道徳で、常見を有する人々を指導する

ためのもの。

もう一つは勝義諦で、常見を否定しながら、同時に断見にも

落ないようにしている。

しかし、後代、論書の時代になると、偏向の現象が普遍的に

出現し、常見でもって勝義諦ーー縁起を説明するようになった。

これらの論師は、縁起を「自我はある」すなわち誰かが死ん

だら、その同じ人が再生する、という風に説明するか、

またはすべてが物質で出来ていると言う立場で、

解説するようになった。

例えば、地獄は地下にあるといい、死んだ人が行く所だといい、

縁起の流れの中、<今・ここ>にこそ、地獄の恐怖がある、

という事は言わない。

縁起の法則によって感じ取る地獄があっても、

我々は依然として地下にあるべく想定し、または死後の事だ

とみなしている。

故に、縁起を研究するのならば、原始パーリ経典を基礎にし、

盲目的に、論師や論典に服従してはならない。

我々は、仏陀の教え<カラマ経>及び<大般涅槃経>の中の

「四大教法」の原則に基づき、我々の主体性を維持し、

行使しなければならない。

このようにすれば、我々は、後の時代に、常見に偏向して

しまった論典の奴隷になる事はなくなる。(つづく)。

(台湾香光尼僧集団翻訳グループ~タイ語→中国語

原題「生活中的縁起」中国語→日本語 Pañña-adhika sayalay)