Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー14

我々がお互いに注意し合わねばならないのは、仏教の真髄ーー縁起を、

万物霊魂論、すなわち神識が輪廻しているという考えを説明するのに

使う事について、慎重であるべき、ということだ。

この原子、宇宙の時代に、西洋の学者は、このような観念を嘲笑・

風刺しているが、日常用語で説明される道徳(常見を含む)と、

法の言語(究極の正見)から導き出された勝義諦ーー縁起とを

混同しない事が、重要だ。

縁起の法則に従って修行するならば、如実に中道である事が分かる。

経典に言われているように、縁起を理解する慧力を通して、

無上正見または出世正見を得る事ができるが、この種の正見は、

断見にも、常見にも偏向しない。

縁起とは、「私」(常見)と非「私」(断見)の間にある中道で

あり、その法則は「此有故彼有」「此滅故彼滅」である。

まさにこの法則こそ、仏教をして、断見にも常見にも落ちない事

を保証するものである。

我々が注意しなければならない事は、仏教をヒンズー教

バラモン教と同じものとして説明してはならない、という

事である。

実際、常見の見解を持つ人は、本質的に縁起を受け入れる事

ができない。というのも、両者は本質的に対立するもので

あるから、である。

故に、常見で縁起を指導するならば、縁起の法則を破壊

しているのであり、このことについて、我々は慎重で

なければならない。(つづく)

(台湾香光尼僧集団翻訳グループ~タイ語→中国語

原題「生活中的縁起」中国語→日本語 Pañña-adhika sayalay)