若い頃、日本の禅書を読んでいて、心に残った言葉があります。
それは「(修行すれば修行するほど)何事も分からない」と
いう一言です。
若かった私の頭は「???」で一杯になりましたけど・・・
今は分かります。
先日、長らく会っていない知人から葉書が来ました。「〇〇県
に引っ越して、楽しく暮らしている」と言う文面でした。
私はそれをみて、一瞬「ウッソー!」「見栄張ってない?」と
思いました。彼女には難病の娘さんがいて、現在入院中だという
事を、私は知っていたからです。
でも、次の瞬間、正念正知がわいて「知人ももうとっくに還暦を
過ぎた。娘さんの事をくよくよ考えるのはやめて、余生を楽しく
過ごそうと、気持ちを切り替えたのかもしれない」「それを確認
もしないで、知人の日常が楽しくあるはずがない、なんて思うの
は、当方の妄想」と気が付きました。
座禅すると妄想しなくなる。
妄想しなくなると、日々の出来事の多くの事は、<分からなくな
る>のですね。
正念正知のある時、妄想はなく、勝手な価値基準でものごとを
判断しなくなる。結果、な~んにも分からない人間になる、とい
う仕組み。
本当に馬鹿になった訳ではありませんよ。
聖者は大愚なり、というアレです。