Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

是誰庵のひとやすみ~57>大愚

若い頃、日本の禅書を読んでいて、心に残った言葉があります。

それは「(修行すれば修行するほど)何事も分からない」と

いう一言です。

若かった私の頭は「???」で一杯になりましたけど・・・

今は分かります。

先日、長らく会っていない知人から葉書が来ました。「〇〇県

に引っ越して、楽しく暮らしている」と言う文面でした。

私はそれをみて、一瞬「ウッソー!」「見栄張ってない?」と

思いました。彼女には難病の娘さんがいて、現在入院中だという

事を、私は知っていたからです。

でも、次の瞬間、正念正知がわいて「知人ももうとっくに還暦を

過ぎた。娘さんの事をくよくよ考えるのはやめて、余生を楽しく

過ごそうと、気持ちを切り替えたのかもしれない」「それを確認

もしないで、知人の日常が楽しくあるはずがない、なんて思うの

は、当方の妄想」と気が付きました。

座禅すると妄想しなくなる。

妄想しなくなると、日々の出来事の多くの事は、<分からなくな

る>のですね。

正念正知のある時、妄想はなく、勝手な価値基準でものごとを

判断しなくなる。結果、な~んにも分からない人間になる、とい

う仕組み。

本当に馬鹿になった訳ではありませんよ。

聖者は大愚なり、というアレです。