ブッダダーサ著「生活の中の縁起」(翻訳文)ー35
どのような方法で苦を滅するのか?どのように実践するのか?~~
次の問題は「どのような方法で苦を滅するのか?」である。
答えは、一般的な法則と同じ:正しく修行をする、すなわち、
正しい生活、または正命(正しい方法で命を維持する事)を
実践する。
いわゆる正しい生活とは、すなわち、智慧を運用して無明を
打ち砕き、知識でもって、愚かな生活を取り除く。
または常に(意識において)了了明白である事を維持する。
特に外境に<触>した時、了了明白である事。
皆様に理解して頂きたいのは、いわゆる正命とは、実際の生活
の中で、特に外境と接触した時に、円満なる正念を保持する事を
意味する。
ひとたび、このように生活する事が出来るようになれば、愚かさ
と無知無明は、生起する事ができない。
ということは、本事(訳者注:本来の自己、本来の面目)が無明を
駆逐し、智慧と正見が残る、という訳である。
これが正命ーー生活の中に苦はないーーである。
縁起の主要な主題は、以下の通り:
1、もし、縁起とは何か?と聞かれたら、このように
答える事ができる:
日常生活の中で、我々の心内の作用は、稲妻のように迅速に出現し、
苦を生じさせるが、それがそのまま<縁起>である。
2、どうして縁起を理解する必要があるのか?
人々は愚かで縁起とは何かを、知らないから。
3、縁起を知る、どういう利益があるのか?
正知正見が生じれば、苦を止滅させる事ができる。
4、どのような方法で、苦を滅するのか?
正しい方法で修行する事。縁起の法則を遵守する事。
すなわち、縁起の流転を生じさせないようにし、常に
了了明白(なる意識)を保持し、縁起をして<触>の段階
に留まらせること。
結論としては、上記4点が、縁起である。
<つづく。次から<11の縁起>に入ります)
訳者コメント:原文「本事」これを訳するのがやっかいでした。
辞書には<歴史書などに書かれた出来事のもとになる事柄>
とあって、それはここでは使えない。それで禅宗で使われている
「本来の自己」「本来の面目」としました。ブッダダーサが禅宗
が好きで、中国の六祖の翻訳をしていると聞きましたので。
(台湾香光尼僧集団翻訳グループ~タイ語→中国語
原題「生活中的縁起」中国語→日本語 Pañña-adhika sayalay)