是誰庵のひとやすみ~プラユキ師著「自由に生きる」雑感ー3
プラユキ師は、著書『自由に生きる』の中で、真善美を仏法の
戒定慧に対応されています。
この着眼点、素晴らしいと思いました。
師の説明と、私の思いとをまぜて、感想を書くとすると・・・
仏法の実践で大切な事は、善業を積む(良い事をなし、悪い事
はしない)事と、戒定慧の三学を修する事です。
日常生活で悪い事をしないよう気をつけていれば、まずはトラブルが
減って、毎日がスムースに送れます。
その上で、戒律(在家なら5戒)を守り、禅定に入る修行をし、
やがては無常・苦・無我への理解が深まり、智慧が生まれ、
あなたはますます生きるき易くなる・・・という訳です。
で、この<戒定慧>が<真善美>と対応している、と師はいいます。
戒によって、嘘を言わない、殺生しない、暴力に訴えないなどを
実践していると、人間としての心映えがよくなります。
これが美です。
禅定の修行をして、心の動揺するのが少なくなった人間は、
より善き心の状態を保てます。これが善です。
動揺の少なくなった心には、如実に物事を見る目が備わり、智慧が
開花します。これが真です。
真とはすなわち、物事を如実に見る事のできる心の目、
智慧という訳です。
そして、<真善美>を達成した人は、心は不動かつ余裕ができるため、
その真、真の心を、万人に向けて開くことができる。
それが慈と悲だ、という訳です。
私たちは誰でも、他人に親切にしたいという願望は持っていますが、
何分、自分に心の余裕がなくては、それどころではありません。
人にお金を貸してあげたくても、自分が素寒貧では、
どうしょうもないのと同じです。
ゆえに、自分のできること、まずは悪を為さないことから始めて、
最低限5戒を守る・・・そんな所から始めて、やがては真善美を
達成する。
修行の結果、如実知見ができるようになったら、慈&悲の心を
発動させて、衆生の為に働く。
それを日本的に言うと真善美、仏教的に言うと、上求菩提、下化衆生に
なるでしょうか。
上求菩提、下化衆生と言われると、抹香臭いなぁ、それインド人の
信仰じゃね?自分とは関係無いわ、と思ってしまいますが、
真善美と言われると、日本の方は、納得されるのではないでしょうか?
仏陀の八聖道は真善美の道・・・人間の求めるものは、国や民族が違
っても、実は通底しているものなのだ、と感慨深く思いました。
終。。。