Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

ブッダダーサ尊者著「無我」(翻訳文)ー49

意識が「自我」か?

《布咤婆楼経》の内容は、遊行者布咤婆楼に

関する話である。

彼は仏陀のように、あちらこちらを遊行して

参学し、人心を感動させる教法を教授した。

ある日、彼は偶然仏陀を見かけ、

「想」(saññā)の止息(=生滅)、

更に詳しく言えば、意識の止息について、

仏陀と話しあった。

もし禅の修習と関係する言い方をするならば、

それは「意識」と「受」の止息の境地の事

ともいえる。

一人の人間の意識が活動を停止する時、

表面上では、死んだように見えるが、実際

には、死んではいない。

この遊行者は、仏陀に告げて言う:

学説的な弁論を行うとき、この命題は、

大きな論争を呼ぶだろう、と。

ある一群の人々は、「意識」は何物にも

コントロールされることはない。それは

自動的に生起し、消失する。それが人の身に

現れるとき、その人には意識がある、という:

それが存在しない時、その人には意識が

ないのであり、そして、このような生滅は、

遅かれ早かれ発生する、と。

別の一群の人々は、(+事実は)そのようでは

ないと言って、これに反駁する。

「自我」とは、結局は、一人の人間の意識

であり、「自我」が我々の身体に進入する時、我々は意識を具備することになる。

「自我」が離れると、我々は意識のない状態

になる。ひたすら「自我」が戻ってくるまで

待ってのちに、我々は、意識のある状態を

取り戻すことができる。

第三番目の群の人々は、前二者は、両方とも

間違っている、と言う。

実際は、この世界には、大きな能力を

持っている何者かがおり、彼は神秘的な

領域に住み、我々一人一人の意識の生滅を

決定している。

最後の一群の人々は、前の人々は、

皆間違っていて、実際は、神が、一人一人の

意識の生滅をコントロールしているのだ、

と言う。

最後に、この遊行者は、自分は仏陀の智慧

を信じ、かつ、仏陀が意識の息滅に関する

真実義を知っていることを認め、

ゆえに、仏陀にそれを開示してほしいと

願い出た。

(+ )(= )訳者。(つづく)

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ブッダダーサ尊者著「無我」中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>