我々は知らなければならない。
世界は恒常であるかどうか、という問題は、
「自我」の問題と直接的に関連しているもの
である。
しかし、仏陀の観点から言えば、「自我」は
決して存在しないし、描写することもでき
ないものなのである。
仏陀の考えでは、苦痛から解脱する方法は、
世界は恒常であるかどうかと論談する事、
または「自我」の問題とは、もとより
関係がない。
仏陀の教えた正道は、ただ物事の真正なる
本質を、如実に見通すことを要求しており、
それはすなわち、停まることなく循環し、
運行している「法」または自然の法則に
対して、決して執着や粘着をしてはならない
事、更には、それを「自我」であるとして、
執着してはならない、ということである。
ゆえに、仏陀は言う:
「これらの命題は役に立たない。それは、
苦痛を止めることができない」。
以上の物語は、仏陀が町に行って
托鉢する前の、当日早朝に起きた出来事で、
仏陀と遊行者はここまで話をして、
そこで別れた。
何日かの後、遊行者布咤婆楼は、「吉達」
(Citta)という名の象使いと一緒に、
再び、仏陀の開示を聞き来た。
どうかの類の問題を論じない。
私もそれに同意したいけれども、
それでは遊行者たちに責められる、と言った。
仏陀は再び確固として言った:
これらの事を話し合うのは、意味がない。
しかし、四聖諦は、修行者に直接的な
利益を齎すことができる、と。
そして、仏陀はさらに続けた:
(+ )(= )訳者。(つづく)
訳者コメント:下線は訳者。ここには、
非常に重要な観点が述べられていると
考えられますので、老婆心にて。
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翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>