私の考えは:
粗い肉体の「自我(ママ、以下同様)」を得るとき、
心霊の元素によって造られる「自我」および
意識が造る「自我」は得ることができない;
心霊の元素によって造られる「自我」を得る
とき、粗い肉体の「自我」と心霊の元素に
よって造られる「自我」は得ることができない;
意識が造る「自我」を得るとき、粗い肉体の
「自我」と心霊の元素によって造られる
「自我」は得ることができない。
彼が言いたい事は、「自我」の三種類の形式
は、同時に存在することができないという事
である。
一つの形式の「自我」に執着すると、その
特定の形式のみが存在すると認定されて、
他の二者は存在しないことになる。
仏陀は言う:
吉達!
もし人が以下のように言うとしよう:
「あなたは、随分以前から存在しており、
かつて存在したことがない、ということは、
ない;あなたは未来において存在する
だろうし、永遠に不存在である、という
ことは、ない;
あなたは今現に存在していて、現在存在して
いない、ということはない。」
人が、このような言い方は正しいかどうかを
尋ねたとき、あなたはどのように答えるのか?
吉達は答える:
私はかつて存在したことがあり、未来において
も存在するであろうこと、また現在も存在
している事実を受け入れます。
仏陀は続けて言います:
吉達!
もしあなたが、さらに突き詰めて、以下の
ように質問されたならば、それが正しいか
どうか、あなたはどのように答えますか?
「あなたが過去において執着した『自我』の、
どの種類のものであろうとも、それはすべて
真実であり、その他の『自我』は虚偽である;
または、あなたが未来において執着するところ
のその『自我』、それはすべて真実であって、
その他の『自我』はすべて虚偽である;
あなたが現在執着しているどの『自我』も、
それはすべて真実であり、その他の『自我』
は、すべて虚偽である。」
吉達は答える:
いついかなるときにも執着された「自我」は、
その特定の時刻に照らして言うならば、
皆真実で、その他の「自我」は、虚偽であると
見做されます。
実際は、これは、あの特定の時刻に照らして
言っているものであって、過去の「自我」は
過去においてのみ真実です。
未来の「自我」と現在の「自我」に至っては、
それらは、過去の時間の流れから見れば、
すべて虚偽です。
実際、それらは、過去においてそのようで
あった、というだけのことです。
ただし、相応の時刻が到来したとき、後ろの
二つの「自我」も、それぞれ真実となります。
同様に、過去において、一度は真実であった
「自我」は、現在と未来においては、
虚偽になります。
(+ )(= )訳者。(つづく)
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翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>