序説
仏教を学ぶ者は、徹底的に、以下の三種類の
事柄について、しっかりと理解しておかなけれ
ばならない:
一、私はどこから来たのか?
二、本来の面目とは何か?
三、原点に戻る方法とは何か?
そうでなければ、一生持戒し、根を断じ、枯れ
るほど座り続け、がむしゃらに修行し、結局
は、最後の臨終の時、恐れおののき、呆然
として、手も足も出ないに違いない。
仏を学ぶとは、心で以てするを宗とし、真心
でもって、妙理を明らかにし、現実に切り込み、
平常とは何かを知ることである。
釈迦牟尼は、雪山において仏に成ったが、
それはいったいどういう事であったのか?
すなわち、本来の心を見た、のである。
故に、千の経にあっても、万の論にあっても、
ただ見性あるのみ、なのである。
末法の時期においては、正法は薄れ、各門
各家、万法おのおの、目に触れる物(+によって
意見がいろいろ)、理論は飛び交い、己が正し
いと争いが絶えない。
学ぶ者は、目をきょろきょろさせるばかりで、
どれを選んでよいかわからず、少しばかり失敗
すると、執着して先入観となすが、これでは
百害あって一利なしである。なんと惜しい
ことか!
または、不幸な出来事があって、修行が停滞
し、自ら閉じ籠って、盲目的に修行したため
に、心の病を引き起こす。これでは問題は
大きくなるばかりである。
私は拙作《正遍知一切法》と《有花有月有
楼台;一味一相一仏乗》という「仏法界の中心
的体系ーー仏性論」を純粋に研究する二冊の
本を上梓した後、引き続いてすぐに白話文の
《離苦得楽》を書いた。
これは、人の心の病の根源を解き、直接仏性の
妙用を指し示すものである。
仏を学ぶ者は、見地において、徹底的に通達
した後はじめて、理と体を実証し、会得する
ことができるので、修行のために心得として、
事と相を明らかにする、本書を完成させた。
初心者または、いまだ仏を学んだことのない
インテリに、正統的で、適切な学習方針及び
正確な仏法の正しい知見を提供できるように、
私個人の体験と証悟、経験と実証を、万法は
その宗を離れないという原則に基づいて、
簡単に解説したので、読者の参考として
いただきたいと思う。
読者各位の修行と学習に細やかな利益を齎し、
事と相において、修証する時、同じ所で足踏
みし、自分で勝手に法相を立て、空中相、
境界相、仏相、魔相などの幻想の渦に巻き込
まれ、そこから抜け出すことができない、
という事がないように;
飛天幻化の意識界に迷って、そこから抜け出す
ことができない、というようなことがない
ように、私の拙作が、いささかでもお役に
立てれば、幸いである。
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。
(つづく)
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<陳居士著「修心与神通」より訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>