<自序>
四聖諦を知るために、尽力しなければならない。
『比丘たちよ。まさに、四聖諦を知らないが為に、四聖諦を徹底的に見る事がないが為に、あなたと私は、長い間ずっと、輪廻の中で流転し、徘徊してきた。(+四聖諦とは、)どの四つか?
比丘たちよ。まさに、苦聖諦・・・苦集聖諦・・・苦滅聖諦・・・苦の滅に導く道聖諦を、知らないが為に、それらを徹底的に見ることがないが為に、あなたと私は、長い間ずっと、輪廻の中で流転し、徘徊してきた。
比丘たちよ。
あの苦聖諦は、すでに知られ、徹底的に見られた;
あの苦集聖諦は、すでに知られ、徹底的に見られた;
あの苦滅聖諦は、すでに知られ、徹底的に見られた;
あの、苦の滅に導く道聖諦は、すでに知られ、徹底的に見られた。
有愛は、すでに切断され、有渠はすでに破壊され、すでに来世(=原文、来生)があることは、ない』。
(《相応部・第一辺際村経》Pathama Koṭigāma Sutta)
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(1-2につづく)
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<パオ・セヤドー講述「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>