上述の経文では、定が生じる要素を、述べている。これらの要素の中において、我々は、強制、決意、死守などの項目を見つけることは、できない。
経文では、上記のものが、定を決定する要素であるなどという事を、述べたことがない。
反対に、我々は、ちょうどこれらと正反対の要素を見つけることができる。すなわち、それは煩悩から遠くはなれた心、愉快であり、喜悦であり、軽安であり、楽しい心である。
定の修習におけるキーポイントは、専注のために心を強制したり、非常に強力な決意をもって、修行の目標を専注する事には、ない事である
キーポイントは、善で巧みな方便を用いて、あなたは、あなたの定を修習する過程全体を、興味深く、更に楽しく、更に軽々と、更に優美にすることである。
あなたの定の修習の過程において、心身における益々の愉快、喜悦、軽安、楽しさが生じる時初めて、あなたの心は自然に不散乱になり、定とは無関係の、その他の事柄に向かって楽しさを求め、奔走しなくなるのである。
しかしながら、ここにおいて、一つ重要な提案として、定の修習を始める段階においては、適量の決意と自律は必要である、と言う。
しかし、それらは、決して定の修習における主要な動力となることはない。
これが、一たび、あなたが必要な決意と自律を得た後に、良き師は、あなたに、いかに善で巧みな方法で定を修習するよう指導しなければならなしか、という理由である。
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(1-26につづく)
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<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>