是誰庵のひとやすみ~回頭是岸
台湾のお寺に行くと、山門によく<回頭是岸>と書いた扁額が掲げられています。
<彼>という文字を足して<回頭是彼岸>と言えば、はは~、と納得される方も多いと思います。
仏教徒は、一応、涅槃(彼岸)を目指すというのが、基本のセオリーとなっています(無住涅槃と言って、涅槃によりも、娑婆にいて、人々を救う方が好き、という人もいて、それはそれぞれの方々の好みの問題で、まぁ、どちらでもいいのですが。なお、涅槃とは、心に煩悩のない状態の事を言い、娑婆で生きるにしても、役に立ちます)。
で、涅槃と言うと、何かとんでもない、宇宙の彼方、遠い遠い場所を目指して、修練の旅をするようなイメージですが・・・。
<回頭是岸>とは、実は、頭をめぐらして、後ろを振り返れば、そこが帰るべき岸辺だった、別に、苦難の旅に出ることもなかったワイ、という意味ですね。
また、たとえば、監獄へ入れられた囚人が、脱獄したくて、夜中に窓に架けられた鉄格子を密かに削っていて、ふと、後ろを見たら、自分が押しこめられた(と思っていた)入口のドアは、入って来た時と同じように、開いていた・・・という、そんなイメージ(入口は、出口でもあるという、パラドクス)。
ま、だからといって、修行しないでいい、という訳でもなく・・・、今日もコツコツ、安般念。