私が好きなお経・・・
そうですね、一番好きなのは「雪山童子」ですね。
「ヒマラヤに住む雪山童子は、世の理法として
までは分かるけれど、最後の一句が分からない。
最後の一句を教えてくれる人がいたなら、命を捧げてもよいと思いながら歩いていると・・・」という物語。
最後に羅刹が出て来て、<涅槃寂静>を述べて、四法印の揃い踏み、メデタシ、メデタシのお経です。
次に好きなのは<大念処経>。
特に、パーリ語で読む<大念処経>、なぜか涙がホロホロ・・・タイの森林僧院で、パーリ語の<大念処経>の読誦の声が、夜の森の中を流れると、よく泣いたものです(悲しいのではなくて、懐かしい感じがして)。
次に好きなのが<般若心経>ですね。このお経は、テーラワーダには属さず、大乗仏教運動の萌芽期のお経だそうです。
最近、「色即是空、空即是色」という部分、色即是空が、<物質は素粒子すなわち波動で出来ている>という意味なら、「空即是色」という言い方は成立しない、という主張も見受けられましたが・・・<即是>に(=)と(≧)(≦)の意味もあるとしたら、「色即是空、空即是色」は成立するのではないか、と思います。
私の手元にある「般若心経」は<唐三蔵法師玄奘訳>とあります。唐の時代の<即是>はどんな意味だったのか、古語に詳しい方、出番ですよ!(注1)
まぁそれはともかく、私は「般若心経」の
<心無罣礙。無罣礙故、無有恐怖。遠離顛倒夢想、究竟涅槃>という所が好きです。
顛倒夢想とは何か・・・それさえ分かって、それから離れる事が出来れば、人類は、各種の心理的負担からも、恐怖心からも、自由でいられる。
では、人類は、何を顛倒夢想しているのか?
この命題とその答えは、人類解放の一番の手掛かりになると、まだ(ほっぺが赤く、おさげ髪の)少女だった頃の私は、思ったものです。
(注1)中々辞典を引きましたら、<即>には「その場所において」という意味があるそうです(例=即席)。そうすると「色即是空、空即是色」は、《色(物質)はその場において素粒子であり、素粒子はその場において物質である》と読めて、これは素粒子が移動しない性質を言っている事になります。う~~ん、なかなか深いかも。
<緬甸パオ森林寺院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay般若精舎>