パオ・セヤドー講述「顕正法蔵」(翻訳文)5-53
<Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu>
ここにおいて、択法、精進と喜という、この三種類の覚支の育成については、それらの各々の栄養(または因)を如理作意することを通して、理解するべきである(+と、私は主張する)。
というのも、仏陀は以下のように述べているが故に:
「比丘たちよ。
未だ生起しない択法覚支が生起する栄養(または因)とは何であるか?
または、既に生起した択法覚支が、成長し、増加し、強化され、または円満になる栄養とは、なんであるか?
比丘たちよ。
善なる法と、不善なる法がある。
指弾されない、または指弾されるべき法がある。高尚または卑劣な法がある。
光明または暗黒の法がある。
それらが、未だ生起しない択法覚支が、生起する栄養であるかどうか、または、既に生起した択法覚支を成長させる、増加させる、強化させる、円満になる栄養であるかを、数々、如理作意するべきである。
次に、比丘たちよ。
何が、未だ生起しない精進覚支が生起する栄養(または因)とは何であるか?
または、既に生起した精進覚支が、成長し、増加し、強化され、または円満になる栄養とはなんであるか?
比丘たちよ。
尽力界があり、精進界があり、不断なる精進界がある。それらが、未だ生起しない精進覚支が生起する栄養であるかどうか、または既に生起した精進覚支を成長させる、増加させる、強化させる、円満になる栄養であるかを、数々、如理作意するべきである。
次に、比丘たちよ。
何が、未だ生起しない喜覚支が生起する栄養(または因)とは何であるか?
または、既に生起した喜覚支が、成長し、増加し、強化され、または円満になる栄養とはなんであるか?
比丘たちよ。
喜覚支の基本となる法がある。
それらが、未だ生起しない喜覚支が生起する栄養であるかどうか、または、既に生起した喜覚支を成長させる、増加させる、強化させる、円満になる栄養であるかを、数々、如理作意するべきである。」(《相応部》)
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(5-24につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>