<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
ここにおいて、(一)と(二)のこの二項目は、以前に説明した解釈によって、理解する。
(三)は、安般念禅相または遍相か、または何かの禅の目標を獲得することに優れている事。
(四)は、精進など等が過剰すぎるが為に、動揺している心を、軽安、定及び捨覚支を策励させることによって、コントロールする事。
(五)は、過剰な懈怠などなどによって、軟弱になった心を、択法、精進及び喜覚支を通して策励させる事。
(六)智慧の力が弱いか、または安寧の楽を証得することができないために、不満を感じる時、彼は恐怖感に関する八つの原因を思惟する事を通して、それを策励する。すなわち、生・老・病・死、四悪道の苦、過去に輪廻した苦、未来において輪廻する苦、今世において、食を求める苦を思惟する。また、三宝を随念することによって、心において、信心を充満させる。
(5-66につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点原文ママ。
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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>