南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

☆「掌中の葉」(翻訳文)3-3

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

あなたの(+仏法に関する)基礎が強固になった時、あなたは多くの先生について学んでも、よい。

その時、あなたは、涅槃へ向かうための、多くの道を学ぶことができる。

その後、あなたは自分自身が、真正の、善くて巧みな教師になることができる。

(+もし、あなたが)異なる性質をもつ人々に対して、異なる修行方法を紹介することができるようになれば、それは、ゴータマ仏陀と、少しばかり、似ているかもしれない。

良い禅の指導者は、良い医師のようだ。

良い医師は、異なる病人に対して、いつも同じ調子で、一種類の薬しか出さない、ということはなく、先に病人を検査し、病人のそれぞれの体質と症状、また、何を必要としているかを理解する。同様に、良い禅の指導者は、異なる学生に対して、いつも同じ調子で、一種類の業処しか紹介しない、という事はなく、先に学生を観察し、学生のそれぞれの性格、煩悩(=悩み、喜怒哀楽)と、彼が必要としているものを理解し、その後で初めて、学生自身の状況に適合する業処を紹介し、与えるのである。

しかしながら、非常に重要なことは:

どのようにして良い教師を見つけるのか?という問題である。

一体どのような人が、良い教師なのであろうか?

《清浄道論》に基づけば、良い教師(善友)とは、以下の特徴を具備するものである:

すなわち、能力において、以下のような人は、あなたの先生になるに相応しい人である。

 (3-4につづく)

   <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ

★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>まで。

ご協力、よろしくお願いいたします。

<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>