☆「掌中の葉」(翻訳文)3-37
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
【引証】仏陀は言う:
定を尊重すると、仏法を久しく住(トド)める事ができるーー《相応部・16迦葉相応・第13経》
「迦葉、五つの事柄は、正法を久住、不衰、不失にする事ができる。
どの五つか?
ここにおいて、比丘、比丘尼、男性居士、女性居士の
導師(仏陀)に対する尊敬と尊重、
法に対する尊敬と尊重、
サンガに対しる尊敬と尊重、
戒に対する尊敬と尊重、
定に対する尊敬と尊重である。
迦葉、この五つの事柄は、正法を久住、不衰、不失にする事ができる。」
なぜこのように言うのか?
なぜ仏陀は、禅の修法の中から、「定」を選び出して、その重要性を何度も強調するのか?
というのも、仏法は非常に奥深いもので、智者によって納得、証悟されるものであるからである。
仏法は、事・物の真実の本質を照見することにあり、そして、真実の本質とは、非常に奥深いものなのである。
あなたは、一秒ごとに何万億個の心識刹那が出現するのを、知ることができるだろうか?
もし、あなたの心があちこち走り回り、分散されているならば、あなはどのようにして、最も小さい単位である心識刹那を洞察・透視(=徹底的に見る事)することができるだろうか?
もし、あなたが実相を洞察する事ができないのであれば、あなたは、また、最も高度な安楽である涅槃を、どのようにして証悟しようというのだろうか?
「この法は、定のある人に与えるものであって、定の無い人に与えるものではない」
≪増支部・八法集・第30経≫
実際、輪廻の大苦聚は、無明から来ているーー言い換えれば、実相を知らないが故、である。
もし、あなたがすでに修行者であるならば、私はあなたが、多くの仏法を学んだ事があるであろうと思うし、また(+あなたは、仏)道を修行するべきだと確信している。
しかしながら、問題は、書物から得た理解は、それだけのことであって、実践はまた、別の事柄である、という事である。
(+私は)あなたが、諸法無我に同意するとは思うが、しかし、あなたはいまだ、無我であることについては、(+体得・実践)出来ていない。
このことの原因は、いくつかの煩悩は、学習を通して得た智慧によって取り除く事ができるが、しかし、更に深い煩悩は、唯一、あなたの心が微細で奥深い実相を透視できた時にのみ、取る除くことができるからである。
このことに関して、定がないならば、(+修行に)成功することはないのである。
◆結論:
(一)定の利益は以下を含む;
1、現法楽住を得る。
2、殊勝な知見を得る。
3、分別慧を得る。
4、永遠に諸々の漏を尽滅する。
(二)定を尊重すると、仏法を久しく住めることができる。
(3-38につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>
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<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>