Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

☆「掌中の葉」(翻訳文)5-13

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

二、【個別の対処法】

以下の内容は、主に向智長老(Nyanaponika Thera)の書かれた《五蓋》(The Five Mental Hindrances)を改編したものである。

(一)[貪欲蓋の対応]

1、不浄観

(1)生命体(生きている体)の不浄観:

己自身の32の身体部分:髪の毛、毛、爪、歯、皮膚、筋肉、腱、骨、骨髄、腎、心臓、肝、肋膜、脾、肺、腸、腸間膜、胃の内容物、糞、脳、胆汁、痰、膿、血、汗、脂肪、涙、皮脂、鼻水、唾、間接潤滑液、尿を繰り返し観察する。

最初に、それらの存在を感受できるようにし、熟練した後、それらの不浄を感受する。

我々はその中のひとつ、または数個の身体部分を取り出して、頭から足までを何度も観察するようにしても良い。

たとえば:「髪の毛、毛、爪、歯、皮膚」というこの五つの身体部分を、何度も感受する。

または、「骨」だけを感受する:

身体のある部分の骨から感じ始めて、その後に、徐々にその他の部分の骨を感受する。

その後、他人の身体の32の部分を観察する。

方法は上に同じ。

他人の身体ではあるけれども、我々は己自身の心でもって、それを感受することができる。

(2)無生命体(死体)の不浄観:

以前見たことのある死体を思い出す。

他人のであっても動物のであっても、それらを不浄とみなして、観察する。

その後に、己自身の未来における死後の死体を観察し、その不浄を理解し、納得する(+ようにする。)

次に、未だこの世に生きている人で、特に己が執着している人を観察する。彼らが未来において死んだ後の死体を、不浄として観察する。

不浄観を修行する時、その要点に切り込むとき、非常に強力な定力を産むが、それは、初禅を証得することがある。

その要点とは、「如実」であり、一分(いちぶん)の感受は一分であり、(+成果を)無理やり求めてはならない。

2、六根門の守護

通常の日常生活において、五蓋を覚知する習慣を養って、五蓋が目、耳、鼻、舌、身体、意の六根門の中のいずれか一根門から生起しないようにする。

たとえば:美しい映像を見たときに、心内において、貪欲が生起するならば、即刻それを察知し、それが持続しないようにする。

我々は心内で「見る、見る、見る・・・」と言いながらそれが消えるまで、それをマークする。

(+人が何かを)見ている時、そのときは、ただ単純に見るという現象があるだけで、心をして、見えた目標が原因となって、貪欲を生じせしめてはならない。

音を聞く時、匂いを嗅ぐ時、味を味わう時、物体を触る時、考えが浮かぶ時もまた、上記のように類推して、今・ここの「聞く」「嗅ぐ」「味わう」「触る」「考える」の現象をマークして、貪欲・煩悩が、どれかの根門から心内に侵入するのを防ぐ。

禅の修行において、もし、貪欲が生起したならば、同様にこの方法を用いて、対応することができる。

たとえば、過去に食べた美食を思い出して、貪欲が生じた時、「味わう」「味わう」と、貪欲が消滅するまで、マーキングする。

(5-14につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は

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<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>