南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)5-100

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

8-8-4-5 出入息と禅相

私はすでに、安般禅相に関する解説をした。

長いか、または短い息の全体に専注して、定力が向上する時、あなたの息は、禅相に変る。

Assāsapassāse nissāya uppannanimittampettha assāsapassāsa samaññameva vuttaṁーー元の出入息に依って出現した禅相もまた、出入息と呼ぶ。

故に、あなたは「禅相」もまた、「出入息」と呼ぶ事を、覚えておかねばならない。

禅相が出現して、かつ、安定したならば、あなたの心は、自動的に禅相に、しっかりと密着する。その時、いまだ微細な息が残ってはいるものの、しかし、この時、あなたは禅相に、専注しなければならない。

初禅の時、息は非常に微細になる;

二禅では、更に微細になり;

三禅では、それより更に微細になり; 

四禅では、それは完全に停止する。

完全に停止したとはいえ、しかし、禅相は存在する。すなわち、それが安般似相である。

四種類の禅相は、安般似相を目標として生起する。

そうであるが故に、安般念を通して、定力を育成する事ができる、という訳である。

次に、私は、初禅における「五支(=五蓋)の捨離」「五支の具備」「三方面の善」について、逐一説明する。

8-8-5 五支の捨離

五支を捨離するというのは、すなわち、五蓋:欲欲、怒りと怨恨、昏沈と睡眠、掉挙と後悔、疑い、を捨離することである。

それらが、いまだ捨離できていないならば、ジャーナが生起することはない。

その他の不善法もまた、ジャーナの刹那には捨離されるが、しかし、上記のそれらだけが捨離支と呼ばれる。

というのも、それらは、ジャーナを証悟しようとする時に、特に障礙となるからである。

欲欲の影響を受けて、心が色々な目標を渇求するとき、目標に専注することはない。

ある種の目標が、怒りと怨恨によって干渉される時、それ(=禅相)は、継続して不断に生起することが、できなくなる。

心が昏沈と睡眠によって撃敗する時、それは軟弱で、無力になる。

心が掉挙と後悔に纏わりつかれるとき、心は動揺して安定しない。

心が疑いまたは不確定(=はっきりしない様)によって困惑する時、正確な方法でジャーナを成就することが出来ない。

故に、この五つの項目は、捨離支と呼ぶ。

というのも、それらは、特別、ジャーナの障礙になるからである。

(5-101につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>