<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
8-8-4-5 出入息と禅相
私はすでに、安般禅相に関する解説をした。
長いか、または短い息の全体に専注して、定力が向上する時、あなたの息は、禅相に変る。
Assāsapassāse nissāya uppannanimittampettha assāsapassāsa samaññameva vuttaṁーー元の出入息に依って出現した禅相もまた、出入息と呼ぶ。
故に、あなたは「禅相」もまた、「出入息」と呼ぶ事を、覚えておかねばならない。
禅相が出現して、かつ、安定したならば、あなたの心は、自動的に禅相に、しっかりと密着する。その時、いまだ微細な息が残ってはいるものの、しかし、この時、あなたは禅相に、専注しなければならない。
初禅の時、息は非常に微細になる;
二禅では、更に微細になり;
三禅では、それより更に微細になり;
四禅では、それは完全に停止する。
完全に停止したとはいえ、しかし、禅相は存在する。すなわち、それが安般似相である。
四種類の禅相は、安般似相を目標として生起する。
そうであるが故に、安般念を通して、定力を育成する事ができる、という訳である。
次に、私は、初禅における「五支(=五蓋)の捨離」「五支の具備」「三方面の善」について、逐一説明する。
8-8-5 五支の捨離
五支を捨離するというのは、すなわち、五蓋:欲欲、怒りと怨恨、昏沈と睡眠、掉挙と後悔、疑い、を捨離することである。
それらが、いまだ捨離できていないならば、ジャーナが生起することはない。
その他の不善法もまた、ジャーナの刹那には捨離されるが、しかし、上記のそれらだけが捨離支と呼ばれる。
というのも、それらは、ジャーナを証悟しようとする時に、特に障礙となるからである。
欲欲の影響を受けて、心が色々な目標を渇求するとき、目標に専注することはない。
ある種の目標が、怒りと怨恨によって干渉される時、それ(=禅相)は、継続して不断に生起することが、できなくなる。
心が昏沈と睡眠によって撃敗する時、それは軟弱で、無力になる。
心が掉挙と後悔に纏わりつかれるとき、心は動揺して安定しない。
心が疑いまたは不確定(=はっきりしない様)によって困惑する時、正確な方法でジャーナを成就することが出来ない。
故に、この五つの項目は、捨離支と呼ぶ。
というのも、それらは、特別、ジャーナの障礙になるからである。
(5-101につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>