<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
8-10-3 捨離一支:具備二支
ここにおいて、知っておかねばならない事、それは一支を捨離するとは、喜を捨離する、という事を意味する事である。
しかし、それは、安止定の刹那において、初めて捨離されるのである。
ちょうど、尋と伺が第二禅において、捨離されるが如くに。
こうしたことから、これを「捨離支」と呼ぶ。
また、「具備二支」とは、楽と一境性の両者が同時に生起する事である、という事を理解しなければならない。
こうしたことから、《分別論》の中で、「ジャーナは捨、正念、正知、楽と一境性である」と言われるのであるが、それは、隠喩の形でジャーナそのものと、ジャーナの具備する法について、説明しているのだ、という事を理解しなければならない。
しかしながら、このジャーナは、二つの明るい相の禅支を具備している為に、「その場において、何が二支を具備するジャーナか?それは楽と一境性である。」と言われるのである。
(5-126につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。
<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>