Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

(新)般若の独り言~人生の目的

本日、MSNの記事を見ていましたら「48歳で課長に成れなかった男の話」が載っていました。

もちろん、この男性(A)が<課長に成りたくて、いかに奮闘したか>というこのWEB記事内容が、彼の人格のすべてを現すわけではありませんから、私が以下に書く事は、彼の人格への、直接的批判ではない事をあらかじめ、お断りしておきます。

Aさんは、大手の有名な会社の営業職。

まじめだけど不器用。

同期はどんどん出世して課長になるのに、自分は課長代理どまり。

しかし、彼なりに努力して、小さな会社に転職した所、上手く行って、いまではアメリカの駐在員で、役職も上がった、メデタシ、メデタシ、という物語。

ここで、Aさんと、Aさんの出世物語を称賛する筆者の共通の価値観は、「出世」にある事。

男なら出世したい、女なら玉の輿に乗りたい。

ステレオタイプ的に言えば、そういう事でしょうか?(最近は自立する女性も増えていますが)。

でも、出世して、部下を持って、給料が上がって・・・そして死んでいく。

出世しようがしまいが、人は、死ぬ。

その時、あなたは、死出の旅路に、何を持って行くのでしょうか?

もし輪廻があるとしたら、また再び、「不器用だけど会社の中で出世したいという価値志向を持つ人物として生まれて・・・」と、人生は延々と続く・・・のではありませんか?

我々は、六根(五根)を通して受け取った情報(外塵)に振り回されながら生き、そしてその事に気が付かずに死んで、また再生する。

私は、会社勤めしながら出世できない苦悩より、こっちの方が、よほど恐ろしい気がするのです。

 

でもまぁ、輪廻の話は鬼門。

これを言うと「それは、人を騙す迷信だ」「輪廻なんて、証明できない話をするな!」と、非難の嵐、輪廻の「ある」「ない」水掛け論が始まりますので。

太陽の下に新しいものなし。

己の人生に、新しい道を切り開くとしたら、無常・苦・無我を知って輪廻から離脱する、だなぁ、私なら。

    (↑ あくまで私個人の趣味であって、他者に強要したり、お誘いしたりするものではありません)。

 <緬甸パオ森林寺院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay 般若精舎>