南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」5-124

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

詳細な説明:心所依処に依存して生起する所の、一つひとつの心は、多くの(+世)代の微小粒子を生じる事ができるが、これを、心生色と言う。

似相(たとえば安般念)を縁にして、それを目標とするジャーナ心と近行定心もまた、多くの代の心生色を生じることができるが、これらは勝色(=すぐれている色)であり、全身に遍満する。これらの色法によって、禅の修行者は、その名身と相応する所の楽を感じるのである。

ジャーナから出て来た後、彼は楽を感じるが、それはその色身が、すでに、それらの勝色の影響を受けているからである。

覚者、聖者は、(+第三禅を)具備し、(+第三禅に)進入し、第三禅に安住する人を、以下のように言い、讃嘆する:

「捨と正念がある者は、楽において安住する」と。

どうして彼らはこのように讃嘆するのか?

というのも、第三禅は、極めて甘美な、円満な楽を具備しているが、彼はなお、第三禅において、中捨する事ができるからである。

これは、彼が、楽を歓び、好むことによって、それ(=楽に執着する事)に(+心が)向かう事が、ないからである。

というのも、彼は、喜の生起を防止する所の正念を通して、正念を保持しているからであるし、また、彼は、名身でもって、聖者によって、(+聖者が)喜ぶ所の喜びと、(+聖者によって)育成された所の、無染の楽を感受するからである。

(5-125につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>