Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」5-120

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

(+上述の)これらが究極法であるように、行捨と観捨もまた、同様なる究極法である。

というのも、それらはただ、二種類の作用に基づいているだけであって、それを二種類に分けているだけであるから。

たとえば、ある男性が、夕方、蛇が自分の家に入るのを見て、二股になった枝を持って、その蛇を捉まえようとする、とする。

そして、蛇が米蔵にいるのを見つけた時、それが蛇かどうか(+彼は)確認する必要がある、と思う。

蛇の三つの相を観察する事を通して、彼は、もはや躊躇する事はなくなる。

故に彼は「更に観察して、蛇であるかどうか確かめる事」に対して、中捨を感じるのである。

同様に、すでに観禅を修行した比丘にとって、観智でもって三相を知見したならば、彼は「諸行の無常を更に観察しよう」など等に関しては、中捨を感じるが、この種の捨を「観捨」と言う。

(5-121につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

<菩提樹文庫>までお知らせ下さい。ご協力、よろしくお願いいたします。

<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>