翻訳番外編~「偽比丘」の見分け方(2-5)
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
否定できないのは、出家者が完全に、上に述べた所の、すべての托鉢の振舞い・行いを満足させたとしても、我々は、彼が真正の出家者だと、自信をもって判断できない、という点である。
偽比丘の集団は、非常に専門化しており、彼らは寺院に人を派遣して短期出家し、一人の出家者としての、必要不可欠な振舞い・行いを学んだ後、還俗して、その他の不法の輩に、比丘の振りをする為の教育をするからである。
故に、外観からみて、この出家者が本物かどうかを判断する事は、たとえ資質と教養のある仏教徒であってさえも、見誤る事があるのである。
しかし、偽比丘が形式的に、比丘の模倣をしても、出家者としての真正なる人格的内容は無いのであって、このことから、出家者の真贋を見分けるのは、難しい事でもないのである。
最も重要な事、すなわち真贋の判別の為の、もっと確かな基準とは、
Yo pana bhikkhu jātarūparajataṃ uggaṇheyya vā uggaṇhāpeyya vā upanikkhittaṃ vā sādiyeyya、nissaggiyaṃ pācittiyaṃ.(Nissaggiyapācittiyā 18)。
もし、比丘が金銀を触り取るならば、または(+人をして)触り取るようにさせるならば、または近くに置く事に同意するならば、捨堕である。(尼薩耆波逸提18)
●真正で如法の南伝の出家者は、托鉢の時、決して金銭による供養を受け取らず、ただ食べ物の供養だけを受ける。
同時に、真正で如法な出家者は、如何なる品物であっても、例えば黄縄、彩線、仏珠、仏札、仏教カード、しおり、お守りなどを、金銭の供養の取引に使うことはない。
どのような場面、どのような場所においても、南伝の袈裟を着ている人が、鉢でもってお金を要求したり、または黄縄、彩線、仏珠、仏札、仏教カード、仏像、符、経呪の念誦、水を掛けて祝福する等の行為をして、それをもって、公衆に対して、金銭の供養をさせて、それを受け取ろうとするならば、それは偽比丘である!
それがたとえ真正な出家者であったとしても、その比丘は、すでに出家者の本分と戒律に、違反しているのである。
(2-6につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<「偽比丘の見分け方」中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>