私も来年は古希になります。
思えば遠くへ来たものだ(笑)。
老年期ともなれば、残された歳月の少なさを思って、ふと憂鬱になる事があります。
死ぬのも怖いですよね(長期に寝込むのも困るし、死ぬ瞬間も怖い)。
有情が輪廻するのは、自分なりに分かっているのですが、往生の行先が不透明なのが、不安。
そんな時、
「私は元気だ」とか
「私はまだまだ死なない」とか、
空元気になるのではなくて、不安に寄り添うといいますか、己の心から生まれる不安をそっと認め、受け入れると言いますか・・・。
どうやら不安というのは、自己防衛に長けた脳が生み出す、一種の感情を伴う概念で、それに心が(外塵として接触した時)、感染してしまうようです。
二矢を受けず。
心が、脳の生み出す概念に感染した所までは認めて(第一矢)、心が更に憂鬱になるのは、止める(第二矢)。
できれば、瞬殺。
老いても、心は暗闇に落ち込む事なく、自然体で生きる。
今の私の目標です。
<緬甸パオ森林僧院/ヤンゴン分院所属/Pañña-adhika Sayalay 般若精舎>