南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

★飛び入り翻訳~『24縁発趣論』16-3

<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

■2、精進根

精進根が生起する時、それは、その他の名色法をコントロールして、(+全体の)指導者となる。

仏陀の時代、ある一群の比丘たちが、森の中に入って修行していた。

彼らの規定は3つあって、それは、どのような事が発生しても、戒を誦する日以外は、各々各自で修行して、顔もあわさないし、話もしない、というものであった。

その時期、その森では、虎が出没していた。

ある日、虎が一人の比丘を、連れ去った。

彼らには、上記三つの取り決めがあった為に、この比丘は、救命の叫び声を、上げなかった。

次の日、再び虎がやってきて、二人目の比丘を連れ去った・・・。

戒を誦する日になって、尊者たちは、比丘の人数が減っている事に気が付き、不思議に思ったが、事情を解明する事ができなかった。

その為彼らは約束した:

「もし、何か危険な事が起こったら、大声を出さねばならない。禁句してはいけない。」

次にまた虎がやってきて、一人の比丘を連れ去ろうとした。

比丘は虎に咬まれたまま、大声で叫んだ

「助けて!助けて!虎だ!虎が来た!」

その他の比丘はそれを聞いて、棒を持って、比丘を救いに向かったが、虎の走るのが速く、比丘たちは、追いつく事ができないので、比丘に向かって言った:

「同修よ。我々は、あなたを救う事が出来ない。あなたは、己自身で、己自身を救いなさい。」

この比丘も覚悟した:

「私にはもはや、死ぬ道しか残されていない。

私は、いまだ生きている内に、私に残されたわずかな時間を使って、勇猛果敢に修行する事ができたならば、臨終前に阿羅漢を証悟する事が出来るかもしれない。」

こうして、彼は精進力でもって、vipassanaを修して、無常・苦・無我を観照した。

虎が、彼の心臓を食べようとした時、彼は阿羅漢を証悟したのである。

精進根が生起する時、それは、その他の名色法をコントロールして、目的地へ到達せしめる力を、持つ。

精進根は、定根とバランスを保たねばならない。

禅の修行において、精進が強すぎると、掉挙が生じる。

たとえば、安般念の修習において、多くの人々は、まるで戦いに行くかのように、全身が緊張している。

その結果、瞬く間に鼻が硬直し、頭が膨張し(+て不具合が生じるが)、これは避けるべきである。

呼吸は微細になる為、修行者の心は柔軟でなければならず、修行者は、最もリラックスした状況の下で、呼吸を観じなければならない。

このようにして初めて、両者は協調・調和することができる。

弓で矢を引くように、目標物の距離は近いのであるから、軽く撃てばよいのであって、もし、あまりに力を用い過ぎれば、矢は目標を離れてしまうであろう。

■3、念根

四念処の修習をする時、身・心において生起しているすべての現象について、覚知する必要があるが、これらの過程を覚知する時、正念は、<コントロール>という働きをする。

■4、定根

止(サマタ)の修習の過程において、定根は俱生名法の範囲内で、根縁を通して、そのコントロール力でもって、縁生法ーー俱生名法を支える。

たとえば、安般念を修習する時、定は心と心所を統一し、また出入息において、(+心と心所を)コントロールして、それらにおいて、妄念が起きないよう、安定して、動揺しないようにする。

通常、入定した場合、我々には(+外部の)音が聞こえなくなる。

たとえば、仏陀は入定していた時、仏陀の側で500台の牛車が河を渡って、非常に騒がしかったが、彼には何も聞こえなかった(+という事があった)。

(16-4につづく)

<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<『24縁発趣論』スシラ・サヤレー著 中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay(2018年5月25日クムダ・セヤドーより

正式に初心者瞑想指導の許可を得る)